生物と無生物のあいだ

生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)

生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)

臨床看護2007年11月号 ほんのひととき 掲載
“私はふと大学に入りたての頃,生物学の時間に教師が問うた言葉を思い出す。人は瞬時に,生物と無生物を見分けるけれど,それは生物の何を見ているのでしょうか。そもそも,生命とは何か,皆さんは定義できますか?”(本書,プロローグより)

 今回ご紹介する本は今年の5月に新書として刊行されて,ベストセラーに入るほどに売れています。みなさんのなかにもお読みになった方も多いと思います。
 私は題名を見て,「また,DNAの啓蒙書か」とつい見過ごしていました。
 読むきっかけは,脳科学者の茂木健一郎さんの書評でした。
 「福岡伸一さんほど生物のことを熟知し,文章が上手い人は希有である。サイエンスと詩的な感性の幸福な結びつきが,生命の奇跡を照らし出す」
 この最上の褒め言葉を見て,書店で立ち読みしました。
 冒頭に引用したプロローグ,そして第1章「ヨークアベニュー,69丁目,ニューヨーク」では,マンハッタン島を巡る観光船サークルラインから見たロックフェラー大学のことが紹介されているのを読んで,本書に一気に引き込まれてしまいました。
 ちょうど福岡さんより少し前の1980年代半ばに私もニューヨークに留学していて,友人がくるたびにこの安くて安全なサークルラインに乗っては,マンハッタン島を3時間近くかけて何回か周遊した思い出があります。まだ,世界貿易センタービルがまばゆいほどに輝いていたころでした。
 本書は,分子生物学者の福岡さんがこのロックフェラー大学に留学して,熾烈な研究競争に身をおいた体験を踏まえて書かれた本で,現代生物学の歴史とその最前線を冷静な視点で描いています。
 “私は一人のユダヤ人科学者を思い出す。彼は,DNA構造の発見を知ることもなく,自ら命を絶ってこの世を去った。その名をルドルフ・シェーンハイマーという。彼は生命が「動的な平衡状態」にあることを最初に示した科学者だった。
 私たちが食べた分子は,瞬く間に全身に散らばり,一時,緩くそこにとどまり,次の瞬間には身体から抜け出て行くことを証明した。(中略)この「動的平衡」論をもとに,生物を無生物から区別するものは何かを,私たちの生命観の変遷とともに考察したのが本書である”(本書プロローグより)
 この“動的平衡”という概念を繰り返し説明するために,ジグソーパズルまでもちだして分かりやすく,非常に読みやすい文章で書かれています。
 福岡さんの力説するその概念からは,生物のことについて書かれていながら,教育,企業・組織,さらには地球環境のダイナミズムまで敷衍できそうな自由闊達な視点をもたらしてくれます。
 そして生命科学の根幹に触れている深い思索からは,私たちが日常行っている医療行為そのものの本質にまで触れるような強い刺激を受けました。
 “肉体というものについて,私たちは自らの感覚として,外界と隔てられた個物としての実体があるように感じている。しかし,分子のレベルではその実感はまったく担保されていない。私たち生命体は,たまたまそこに密度が高まっている分子のゆるい「淀み」でしかない。しかも,それは高速で入れ替わっている。この流れ自体が「生きている」ということであり,常に分子を外部から与えないと,出ていく分子との収支が合わなくなる”(本書より)
 本書のもう一つの魅力は,巻末のエピローグです。アオスジアゲハ蝶を愛した福岡少年は,生命の不思議に魅せられて,生物学の道を歩み始めた,その時代を振り返って綴られた文は詩的な情感にあふれ,これだけでも短編小説になるほどの筆力を感じます。

 “私たちは,自然の前に跪く以外に,そして生命のありようをただ記述する以外に,なすすべはないのである。それは実のところ,あの少年の日々からすでにずっと自明のことだったのだ”(本書エピローグより)