街道をゆく 横浜散歩

先日、帰りがけに横浜駅東口のデパートで開催されている「没後20年 司馬遼太郎展 21世紀未来の街角で」を見てきました。
“日本人とは、日本の国とは何か、と考え続けた作家司馬遼太郎が72歳で亡くなって20年がたちました。本展では、時代を担うこどもたちに書いた『二十一世紀に生きる君たちへ』に通じる未来の街角を会場にすえ、この街角に立てば、「司馬さんにあう、作品にあう」ことができるでしょう。相模の国を治めた北条早雲を描く、『箱根の坂』、あるいは『竜馬が行く』『峠』『街道をゆく 横浜散歩』で描かれた横浜の街、思い思いのメッセージを受取ってください”という案内に惹かれました。
今まで読んできた司馬作品の元となる貴重な資料の数々、単行本、インタビュービデオなど見ごたえのある展覧会でした。ぜひ、機会があれば見に行かれるとよいと思います。
帰りがけに没後20年という表示を見て、ちょうど10年前に参加した第10回菜の花忌のことを思い出しました。そのときの記事を転載します。

臨床看護2006年5月号 ほんのひととき 掲載
司馬遼太郎記念館は来館された方々それぞれに何かを感じ取っていただけるような,あるいは司馬作品との対話,自分自身との対話などを通じて何かを考えることのできる,そんな空間でありたいと思っています"(司馬遼太郎記念館パンフレットからhttp://www.shibazaidan.or.jp/)
 司馬遼太郎さんが大動脈瘤破裂で亡くなられたのが1996年2月13日で,今年は没後10年になります。
 今年2月25日に東京日比谷公会堂で,「第10回 菜の花忌」(主催:司馬遼太郎記念財団)が開催されました。「菜の花忌」は司馬さんの亡くなった毎年2月に東京と大阪で交互に行われている会で,みなさんもご存知のように代表作の一つ,『菜の花の沖』から命名されています。
 私も前々からこの講演会に参加したいと思っていましたが,今年は幸い参加申し込みの抽選が当たり,土曜日の午後に喜び勇んで日比谷公会堂へでかけました。
 壇上には,たくさんの読者から送られたという約3,000本の菜の花が飾られ,冒頭に司馬さんの福田みどり夫人が挨拶されました。
 「10年前に司馬さんが亡くなったときには,自分が生きていけるかどうかわからず,ただ息をしているだけの状態でした。10年してこのような日を迎えることができるなんて,全く想像もできませんでした」
 という言葉には思わず感涙しました。みどり夫人は御主人のことをいつも「司馬さん」と呼んでいたそうです。
 今回の「菜の花忌」シンポジウムでは「坂の上の雲――日本の青春」と題して,作家の井上ひさし関川夏央比較文学者の芳賀徹,劇作家で評論家の山崎正和さんらが壇上に登場しました。
 この4人のシンポジストは私にとって豪華メンバーでした。この欄でも関川夏央さんの『司馬遼太郎の「かたち」この国のかたちの10年』(文藝春秋社刊)と,芳賀徹さんの『詩歌の森』(中央公論新社刊)を以前取り上げました。
 また山崎正和さんの本としては,医学生時代から森鷗外の評伝『鷗外 闘う家長』(河出書房新社刊)を折りにふれて読み返しました。
 今まで活字を通してお知り合いのつもりだった作家や評論家の肉声を聴くという経験は,ちょうどいつもCD(あるいはi-pod)で聴いている歌手のコンサートに行ったような気分でした。
 大阪にある司馬遼太郎記念館へは2年前に私は訪れました。記念館は司馬さんの自宅と庭伝いに一体化されて,庭からは生前のままに保存された書斎を窓越しに見ることができました。そして散策道を歩きながら安藤忠雄さん設計の記念館へと導かれます。
 この記念館の中にある大書架がまさに圧巻でした。「司馬遼太郎の創造空間」をモチーフとして高さ11メートルの壁面いっぱいに書棚がとりつけられ,長年小説・旅行記・随筆を書く資料として集められた二万余冊もの蔵書が展示されていました。私は週末の午後の静かな時間に初めてその書架へ入り込んだときに,その蔵書の醸し出す雰囲気にただただ呆然と立ちすくんでしまったことを思い出します。
 さて今回のシンポジウムで取り上げられた『坂の上の雲』は,日露戦争においてコサック騎兵を破った秋山好吉,日本海海戦の参謀・秋山真之兄弟と同じ伊予の国・松山で幼なじみで,明治文学に大きな足跡をのこした正岡子規の3人の男達を中心して,昂揚の時代であった明治の群像を描いた司馬さんの代表作・大叙事詩です。
 シンポの副題「日本の青春」にそって4人のシンポジストが,小説の技法からはじまって司馬史観,その後の日本の近代史,さらにはこの小説の書かれた1968年から70年代はじめの日本の状況と,なぜその時期にこの小説が書かれたのか,などなど論客たちの個性豊かな言葉に,3時間近くまさに身を乗り出して聴き入りました。
 シンポが終わったあとで壇上の菜の花が参加者全員に1本ずつ配られ,ちょっと春めいた風の吹く日比谷公園の中を,なにか満ち足りた気持ちで帰路につきました。