漱石とその時代

漱石とその時代 第1部 (新潮選書)

漱石とその時代 第1部 (新潮選書)

今年の12月9日は夏目漱石の没後100年目の命日だったそうです。
テレビ番組でも取り上げられ、晩年の漱石を描いたドラマも放映されていました。
岩波書店からは、新版の「漱石全集」が命日にあわせて刊行開始されました。
また新書の新刊売場には十川さんの漱石評伝がでていました。全集の抄録のような簡潔な文章で、初めて全集を読む人には最適な案内になると思いました。
これを機に、ひさしぶりに今度の正月休みには漱石を読み返そうと思っています。
16年前(1998年7月)に書いた、書評を再録します。

<臨床看護 第24巻8号1232頁 1998年7月>
手元において、折に触れ繰り返し読みたくなる本が愛読書だとすれば、私にとっては漱石の『三四郎』『心』がいつもそばにあります。この漱石の魅力を長年にわたって教えてくれたのが、この江藤淳氏のライフワークともいえる漱石評伝です。
今、私の本棚にある第一部・第二部は高校生のときに現代国語の教材として取り上げられた本です。
江藤淳は、夏目漱石を隈なく読んだばかりでなく、強烈な心象を築いている。評伝とはこんなに活力に満ちているものであるかと驚くであろう。苦心の調査を積み重ねており、研究家が好んで造り上げる剥製の評伝とは質を異にしている。この本を読んで感動しない人たちは、芸術家の誕生という主題に全く縁がないことになる、・・・この本は漱石愛する人たちが必ず読んでほしいと思う」(荒正人氏評)
という当時の書評通りでした。難解ながらも読み通しました。そして大学受験が終って医学部入学後、岩波書店から予約販売された漱石全集を毎月1冊ずつ本棚に並べては悦にいっていました。
大きな活字としっかりとした製本で読むと、文庫本で読むのとはまったく違う読書感がもてることをこの全集から教えられました。
その後1993年に20年ぶりとなる年に、『漱石とその時代・第三部』が出ました。漱石39歳、明治38年日露戦争の勝利とその犠牲にゆれる明治社会の時代背景と、漱石の家庭環境、内面の告白が小説として必要であった境遇、門下生との交流、大学教員を勤めながら徐々に小説家として歩み始める、その姿を自立への葛藤を見事に描いているという感想をもちました。
第四部は、明治40年に東京朝日新聞社に入社して小説記者となった漱石が、ほとんど休みなしに『虞美人草』『三四郎』『それから』『門』などの諸作を連載し続ける姿を活写しています。
あとがきには“その意図は漱石の言葉を超時間化された一種抽象的な空間から呼び戻し、時代の文脈の只中に甦らせようとすることころにある”と書かれています。胃弱をかかえつつ文筆で苦闘する漱石の苦悩を、小説が連載されていた新聞紙面の構成との照応まで調べ上げて明治末期の5年間の社会状況・時代背景のなかで見事に描いています。こうした分析を通じて、これらの小説が明治の日本の文明論的本質を鋭くついていること、さらには日本の「近代化」の行く末もこの時代にあって漱石がすでに見通していることを示しています。
蛇足ですが、漱石が吐血して危篤状態になった、いわゆる「修善寺の大患」をドキュメントタッチで描いている章は、当時の医療状況を目の当たりにするようで興味を惹きました。