空海の風景

臨床看護2007年12月号 ほんのひととき 掲載
“僧空海がうまれた讃岐のくにというのは,芽渟(ちぬ)の海をへだてて畿内に接している。野がひろく,山がとびきりひくい。野のあちこちに物でも撒いたように円錐形の丘が散在しており,野がひろいせいか,海明りのする空がひどく開豁に見え,瀬戸内に湧く雲がさまざまに変化して,人の夢想を育てるのにはかっこうの自然といえるかもしれない”(本書,冒頭文より)

 司馬遼太郎さんが,自らの作品の中でもっとも好んだ作品が本書『空海の風景』と言われています。昭和48年(1973年),もう34年も前に刊行された大著ですが,いまでも新装版が書店で平積みにされています。
 司馬さんの没後5年目の2001年正月に,NHK特集で放映された「空海の風景」は語りに中村吉右衛門さん,空海のイメージに使われた和紙人形が内海清美さんの作品,四国の海と空,五島列島,さらには唐の長安の美しい映像がつかわれた画期的な番組でした。
 このテレビ番組に触発されて再読しました。真言密教の成立,空海という奇跡の天才を司馬さんの途方ない文献資料をもとに書かれた内容には,再読しても難解な部分が多くあります。
 しかし,読むたびに心に深く印象に残ったのは,空海の足跡をたどった自然描写の美しさです。そこで今回は「ほんのひととき」というよりも,「絵のひととき」としてご紹介したいと思います。
 日本画家の牛尾武さんです。牛尾さんの作品に接したきっかけは,箱根の成川美術館http://www.narukawamuseum.co.jp)です。私のいちばんのお気に入り美術館で,元箱根・芦ノ湖湖畔の小高い丘にひっそりと立つ日本画専門の館内では,四季折々の作品の個展を中心として,ゆったりと静かな時間を過ごすことできる,私にとっていわば隠れ家的な存在です。
 今回,夏から初秋にかけて牛尾武さんの“空海の「空と海」”をテーマにした第2回目の展覧会が開かれていました。3年前の第1回は空海誕生の地である四国編でした。つづいて,今回は大陸への渡航の出発と帰還の地,九州編が開かれ,さらに中国長安への足掛け二年間に及ぶ入唐編,帰国後に真言密教をもって活躍する,京都と奈良の京洛平城編。最後が弘法大師となる聖地・高野山編と,これから十余年をかけて空海の一生をテーマにした展覧会を牛尾さんは予定しています。
 第1回目の中心作品は『室戸旭日』,室戸の大海原にのぼる太陽でした,“ただ空海をその後の空海たらしめるために重大であるのは明星であった。天にあって明星がたしかに動いた。みるみる洞窟に近づき,洞内にとびこみ,やがてすさまじい衝撃とともに空海の口の中に入ってしまった,この一大衝撃とともに空海儒教的専実主義はこなごなにくだかれ,その肉体を地上に残したまま,その精神は抽象的世界に棲むようになるのである”(本書より)
 この司馬さんの描写をもとに書かれた大作で,横8mにも及ぶ4枚の屏風画からは,荒々しい波が押し寄せる室戸岬の日の出をまさに目のあたりにしたような深い感動を覚えました。
 「密教の深遠な世界を用意に理解することはできませんが,美とは何か良い絵とは何かということと根底で重なっていると私には感じられます。万物は生成と消滅と移ろいの中を過ぎていくものである以上,このテーマを普遍の命題と確信し,歩みを続けてまいりたいと存じます」(牛尾武空海の空と海シリーズの挨拶)
 日本各地の原風景とも言えるような作品の数々には,次のような評価がされています。
 “写実をベースとする牛尾武の表現の特徴は,日本画のなかに点描とかナビ派のような色面の強調が取り込まれ,光の表現が科学的でしかも主観的な点だと考えられる。内発する光が横溢し,端正な描写が画面の隅々まで表情を与えているのである”(個展の解説より)
 一冊の本から,人生の芸術テーマを決めて突き進む画家の姿と作品をみることは,牛尾さんと同世代の私にとってはこれからも大きな楽しみです。

 “題を,ことさら「風景」という漠然とした語感のものにしたのは,空海の時代が遠きに過ぎるとおもったからである。かれにちなんだ風景をつぎつぎに想像してゆくことによって,あるいはその想像の風景のなかに点景としてでも空海が現われはしまいかと思いつつ書いてきた”(本書より)