遙かなる縄文の声

臨床看護2003年12月号 ほんのひととき 掲載
“遺跡保存するときに大事なのは,次の世代に伝えることである。しかし,現代に生きる私たちが感動しない限りは,次の世代に残せない。そのためには,公開が必要なのである"(本書より)

 今秋,青森・津軽を旅行する機会に恵まれました。『北のまほろば』を旅することは長年の望みでした。“まほろばとはまろやかな盆地で,まわりが山波にかこまれ,物成りがよく気持ちいい野,として理解したい。むろん,そこに沢山(さわ)に人が住み,穀物がゆたかに稔っていなければならないが"(司馬遼太郎街道をゆく』より)
 私の北への憧れのきっかけは,学生時代に読んだ『津軽』(太宰治)でした。“津軽への愛が,ときに含羞になり,自虐になりつつも,作品そのものを津軽という生命に仕上げていて,どの切片を切りとっても,津軽の皮膚や細胞でないものはなく,明治以後の散文の名品といっていい"(司馬遼太郎評より)
 そして,津軽平野岩木山白神山地のブナ原生林,八甲田山奥入瀬十和田湖と魅力あるスポットが多くあるなかで,もっとも訪れたかったところが三内丸山遺跡でした。
 今回ご紹介する『遙かなる縄文の声』の著者の岡田康博さんは,青森県文化財調査センターに勤務し,1992年から三内丸山遺跡の発掘調査に携わっています。この遺跡のシンボルでもある高さ15mの六本のクリの木からなる堀立柱建物は,1994年に「4500年前の巨木柱出土」と新聞一面トップ記事にもなりました。
 “毛皮をまとって山野に獲物を追い,その日暮らしをしている,貧しい未開・未発達の縄文人というイメージは,もはや過去のものとなった。狩猟・採集に日々の糧を得てもいるが,同時にクリ林を管理し,また遠くの地域との交流・交易を行ない,定住生活を営み,家族よりも大きな単位の集団で社会を構成していたらしいことが,少しずつ見えてきたのである"(本書より)
 本書の魅力は,考古学的手法である竪穴の痕跡や出土した土器などの遺物分析にとどまらず,建築学,植物学,遺伝学など,関連する諸科学の分野の研究者の協力を得ながら,いわば集学的な手法を駆使して,新たな縄文像を検証しているプロセスを岡田さんがとつとつした語り口で描いていることにあると思います。
 たとえば,クリの木のDNA分析からは野生種の多様なパターンと違って,三内丸山のクリは同一パターンを示したことから,栽培されていた可能性が高いことが発見されました。また人骨に含まれる窒素同位体を分析することで,縄文人がどのような食生活を送っていたのかを推測する研究成果も紹介されています。
 “遺跡というのは発見の連続であると同時に,検証の連続である。わずかな違いからイメージできる感覚,そういうことが大事なことであろう。こうした感覚を作るのは,データであり,経験である。その経験というのはたとえば,掘っていると1ミリ違うと100年,年代が違ってくるのは当り前にある。その1ミリで止められないか,それが経験知なのである。それは言葉では説明できない"(本書より)
 このヘラを使った発掘の基本姿勢を読むと,手術手技の感覚・感性と類似するものが感じられました。
 “われわれの仕事は遺跡から発信される情報をより早く,わかりやすく,しかも少しだけ質が高く,知的好奇心をくすぐるようなものを提供することであると強く感じている。常に市民の近くである遺跡でなければならないのである"(本書より)。
 岡田さんの言葉は,医療のインフォームド・コンセントにそのまま通じるようです。
 まだ整備途上である三内丸山遺跡を一日かけて散策すると,岡田さんたちの情熱を通じて5000年前の縄文人の生活を肌で感じとれた気持ちになりました。
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 “土を踏む 風に聴く 声と出会う 遙かなるときを見つめ 今,日本を思う"(司馬遼太郎街道をゆく』より)