タオ 老子

タオ―老子 (ちくま文庫)

タオ―老子 (ちくま文庫)

先日、著者の加島祥造さんの訃報を新聞で読みました。
8年前に、加島さんの「タオ 老子」を書評欄で紹介したことを思い出しました。
文庫本もでているようで、心の平穏を求めるときに読み返したくなる本です。再録します。

臨床看護2000年8月号 ほんのひととき 掲載

“「老子」は人間にある宇宙意識と社会意識の間のバランスを語る。つまり,左の手は,なにも掴めない空に向かって開き,右の手は,しっかりと掴める大地のものを握りしめている。この大きなバランスを「老子」の言葉から感じとると,人は安らぎやくつろぎの気持の湧くのを覚える"(本書あとがきより)

 著者の加島祥造さんは詩人で,イエーツ,ポーなどの英文の訳詩集も多く出しています。その加島さんと「老子」のかかわりは,『タオ・ヒア・ナウ』(1993年刊,パルコ出版)からで,幾冊もの英語訳「老子」本をもとにして,「老子」の生きた口語訳を試みたのが始まりです。

 「以前の私は,現代のこの国の多くの人と同じように,原文や和訓を読んでも,『老子』が分からず,『老子』とは理解出来ないもの,ときめこんでいた」という加島さんが,英訳の漢詩集である『老子』(アーサー・ウェーリー訳)を読んでから魅せられて,「老子」のメッセージを「詩」としてとらえようとする姿勢で書かれています。

 本書の題名にある「タオ(Tao)」とは「道」のことで,中国語では,da`oまたはta`oと表記されます。そして,このda`o(ダオ)は日本語に入って道(ドウ)と発音され,道中,柔道,茶道などと使われています。英語辞書で「Taoism」を引くと,「老子荘子によって展開された哲学体系。宇宙の根本原理である道(Tao)と調和した幸福な生に到達するために,完全に素朴で,自然の流れに逆らわず干渉しない生活を唱導した,無為・自然を旨とする哲学」と書かれています。

 しかし,このような予備知識は無用と,加島さんは「あとがき」で次のように述べています。

 “他の人からの先入観や予備知識なしに,いまのあなたのままで「老子」の言葉に接し,自分のなかに共感するものがあるかどうか,験してほしい。

 私は「老子」に共感したものを,頭で邪魔されずに,なんとか再現しようとした。これがこの仕事の根底の動機だった。「老子」を私の共感から蘇(よみがえ)らせることができたら,これで私の役割は終わるのである。あとは「老子」と読者の「じかの関係」に移る。そこに共感の磁場が生じたら,訳者の私は消えうせる。"

 2500年前の中国にいたとされる老子の思想が,こうして自由口語訳でよみがえるのも,奇妙なタイムトリップのような感じがしてきます。さらに漢文では掴めなかった老子の自由な発想と明快な考え方のすばらしさが,英文という濾過装置を経て,加島さんのいう「文字にひそんでいる声として聞き取ることは命のメッセージを感得すること」につながる不思議さとも,あいまっているようです。

 本書を読みながら,私は,この欄で紹介した長田弘さんの詩集にも「老子」について次のような一節があったことを思い浮かべました。

 “剃刀と着替えと文庫本数冊。ふだん読めないようなもの。たとえば『老子』のような。いつもと変わらないままに,日々の繰り返しから,じぶんを密かに切り抜いてみる。それだけの旅だ。…誰に会うこともない。忘れていた一人の自分と出会うだけだ。その街へゆくときは一人だった。けれども,その街からは,一人の自分とみちづれでかえってくる。"(長田弘著『記憶つくり方』より)

 たぶん本書を読むには,休日の朝とか,旅先で寛いでいる時間がいいのかもしれません。

 “タオの在り方にいちばん近いのは/天と地であり,/タオの働きにいちばん近いのは/水の働きなんだ。

 そして/タオの人がすばらしいのは/水のようだというところにある。/水ってのは/すべてのものを生かし,養う。/それでいて争わず,威張りもしない。

 上善如水,水善利萬物,而不争.

 The best of men is like water;

 Water benefits all things

 And does not compete with them."(「本書第8章 水のように」より)