カシオペアの丘で

カシオペアの丘で(下)

カシオペアの丘で(下)

臨床看護2007年9月号 ほんのひととき 掲載
“だって,自分と会えたのを幸せだと思ってくれるひとがたくさんいたら,やっぱりそれはいい人生でしょ?
 死んだひとがそっちの世界でおだやかに笑っていられるかどうかは,そのひとの死に方や生前の暮らしによって決まるのではなく,のこされたひとたちが幸せになっていれば,死んだひとも幸せになれる…神さまがそんなルールをつくってくれていれば,いいな”(本書 第17章「星に願いを」より)

 夏休みの緑陰の読書にお薦めを今回はご紹介したいと思います。44歳になった直木賞受賞作家の重松清さんの長編小説『カシオペアの丘で』です。
 かつて炭鉱で栄えた北海道の小都市。生まれ育った4人の同級生(3人の少年シュン,トシ,ユウと1人の少女ミッチョ)が39歳になって大きな転機を迎える半年間の物語です。
 5年前にちょうど重松さんが39歳の時に地方紙に連載されたときには,ひとつの死を巡るある種の闘病記だったそうです。今回,主人公もストーリーも全面的に書き換えた長編小説として5月に刊行されました。
 “20代の僕には死はすべてを断ち切ることだった。でも日常の中にごろんと死がころがる年になって他人の記憶の中に残っているかぎり人は生きているって信じられる”と,新聞の新刊紹介のインタビューに重松さんは答えていました。
 “子どもたちは丘の上にいた。1977年,4人は小学4年生だった”の序章を読んだときに,私の頭にすぐ浮かんだのは,映画『スタンド・バイ・ミー』でした。夏休みの終わりに4人の少年が,オレゴン州の深い森の中を野宿しながら,事故死した上級生の死体を捜しに冒険にでる映画を,私は1985年にアメリカ留学中に見ました。
 映画と同名の曲がエンディングに使われ,まだ星がきれいだった,未知の世界が目の前に大きく広がっていたあの少年時代の風を,こころのどこかに感じさせてくれる映画で夏の終わりには毎年繰り返してみていました。
 本書では「星」がキーワードになって,4人の主人公たちが錯綜する想いを語りあいます。そしてゆっくりと話が進むにつれて,さまざまなきらめくような「ことば」に出会えます。
 “夜空に光っているものは,生きている星だけではない。すでに息絶えてしまった星も,最後の瞬間に放った光が地球に届くまでは,輝きだけ,夜空に残る
 ひとの命も同じだと思う。ほんとうに大切に思ってくれるひとが,ちゃんとそのひとのことを覚えていて,懐かしんで,語り合ったり書き残したりしているうちは,命は消えないんだと思う。生きている命と,死んでしまった命が,同じように光って,輝いて,夜空に星座をつくっているんだと思う”(本書より)
 もうひとつのキーワードが「北海道」です。
 “北海道には「永遠を感じる自然」が好きで学生時代,何度も旅をした。衰微する地方の物悲しさは,よく舞台とする都市近郊のニュータウンと不思議に通じる。アップタウンを繰り返してきた近代の歴史が凝縮する北海道って,日本全体のニュータウンのようなものだと思う”と,重松さんはさきほどのインタビューのなかで言っていました。
 私も医学部6年生の時に,阿寒町立病院に同級生数人で夏の臨床実習として,半月間お世話になりました。釧路湿原野付半島,霧多布,弟子屈…週末にドライブした自然をこの本を読みながら,思い浮かべていました。
 私たち学生を実習に受け容れてくれた,当時の阿寒町立病院院長だった大島先生と,本書の中に出てくる緩和ケアの「奥野先生」の姿も重なってきました。そして重松さんがさりげなく描く,緩和治療のあり方も本書の魅力になっていると思います。

 “せんせい,ぼくはゆるしてもらえるんでしょうか。トシとミッチョにゆるされて,しぬことができるんでしょうか。
 時間の感覚を失ったまま,先生の声を僕は聞く。
 あなたが,あなたをゆるせばいいのですよ”(本書 第16章「楽園」より)