月島慕情

月島慕情

月島慕情

臨床看護2007年7月号 ほんのひととき 掲載
“あたしね,この世にきれいごとなんてひとっつもないんだって,よくわかったの。だったら,あたしがそのきれいごとをこしらえるってのも,悪かないなって思ったのよ。
 あたし,あんたのおかげで,やっとこさ人間になれたよ”(本書『月島慕情』より)

 浅田次郎さんの新しい本が店頭に並ぶたびに,買い求めてもう10年以上になります。わが家には「浅田文庫」と呼べるほど,たくさんの単行本が揃っていて,私だけでなく家族で読み回しています。
 この欄で以前ご紹介した『月のしずく』は1998年でした。どれもが素直に泣いたり,笑ったりすることが出来る小説で,どこかせつなく,胸にじんとくる心の琴線にふれる作品であり,心を揺さぶる素朴な感動をもたらしてくれる印象は,いまも変わりないようです。
 世代を超えて読まれる小説の秘訣は,まず第一に作品の文体にあると思います。
 以前,書評欄のインタビューで浅田さんが「文体について心がけているのは,中学高校生でも読めるように平易に書くこと。本物はわかりやすいはず。名作はエンターテインメントだというのが僕の考えです」と言ってました。
 さまざまな登場人物の言葉に,素直に泣いたり笑ったり出来,しかも胸にじんときながら,すっきりと感情移入できる魅力と,映画の一シーンを見ているような言葉の魔法は,いつ読んでも心の癒しになります。
 ちなみに今年の春に刊行された7つの短編集『月島慕情』は,うちでは18歳の次男が買ってきました。
 浅田さんは「月」にこだわりがあるようです。『月のしずく』と同様に短編集の表題作には今回も「月」がきました。
 “月島は,あたしが子供の時分には影も形もなかったんだよ。海を埋め立てて,大きな島をこしらえたのが明治25年。だから最初は築地のツキの築島だった。ところがその島の上にぽっかり昇る月があんまり見事なもんで,いつのまにかお月様の島になっちまった。いいねえ,太夫十五夜のお月さんを,月島から眺めて暮らすんだ”(本書『月島慕情』より)
 日本では,わかりやすい小説を大衆向け娯楽小説という烙印で低い評価とみなしてきた長い歴史があるようです。ちょうど約10年前に浅田さんが『鉄道員』『地下鉄に乗って』など映画にもなった話題作を発表して活躍し始めたころに,山本周五郎の再評価がさまざまな論評でなされていました。
 “近代社会が平気で切り捨てた愛,勇気,誠実,献身といった人間の徳目を作品の主要なテーマにしている。そしてその作品の中では,人間の性格をくっきりと描く肖像(ポルトレ)の意識が濃厚であった”という,山本周五郎への評価はそのまま浅田さんの小説にあてはまると思います。
 本書には,網膜色素変性症を患い,盲目になっていく主人公・時枝と,京大医学生・英一とのかなわぬ恋を描いた短篇「めぐりあい」が収録されています。
“英ちゃん,おかあさんの言うはったことが,今ようやくわかった。私の花瓶はちっちゃすぎて,英ちゃんの花はおっきすぎた。それだけのことや。
「おおきに」
 時枝は届かぬ声を口にした。愛の花束は花瓶から溢れてしまって,感謝のひとことすら生けるすきまはなかった”(本書『めぐりあい』より)
 京都弁のやさしい息遣いまで伝わってくるような文体に,魅かれました。浅田小説の中で私が一押ししてきた『活動寫眞の女』と同じセッティングでありながら,やはり泣ける小説です。
 女医と医学生を描いたもう1篇の「冬の星座」は,お通夜の斎場を舞台にした秀作です。
 “弔いのかたちは死者の人品を語るという。その人生を,ではなく,品性を,である。
 人間の品性は社会的立場や経済力とはおよそ無縁だから,華やかばかりで下品な弔いもあれば,つつましい祭壇をひとめ見て心を揺り動かされるような,清朴に斉(ととの)った葬儀もある。暮も押し迫った夜に雅子が訪れた通夜は,実にそうしたものだった”(本書『冬の星座』より)という書き出しから,映画の一シーンを思い浮かべることはだれにでも出来そうですね。