無銭優雅

無銭優雅

無銭優雅

臨床看護2007年5月号 ほんのひととき 掲載
“若いころだったら人生そんなに甘くないぞ,と一蹴したかもしれない。でも今だったら,こんなふうに言うのではないか。甘くないからこそ,最後に残るのは好きという心だけよ,と”(本書より)

 「ご存知,山田詠美さんの4年ぶりの新作長編。大人になりそこねた男と女は,名作に導かれて,世にも真撃な三文小説は織り上げる」というだけで数多い熱烈な詠美ファンには余計な紹介はいらないのでしょうが,私にとっては初めての詠美小説で,この1冊で虜になってしまいました。
 山田さんは(ファンは詠美ちゃんと呼んでいるようですが),1959年生まれで『ベットタイムズアイズ』で衝撃のデビュー,『風味絶佳』で谷崎潤一郎賞を受賞し,辛口文学評論家の福田和也さんからも絶賛されているそうです。
 前置きはさておき,本屋の新刊コーナーでこの本を立ち読みしてすぐに引き込まれてしまいました。
 “一人称の語り手は42歳の独身女性,慈雨。中央線沿線で両親と兄夫婦の2世帯住宅に同居し,友人と花屋を営んでいる。一方の男性は慈雨と同じ年の栄。バツイチの予備校講師で,古びた一軒家にすんでいる。人生後半に始めたオトコイ(大人の恋!?)に勤しむ,42歳の慈雨と栄”,というあらすじを聞いただけで,「ふん! なんだあ〜,テレビドラマみたいだ」と思ってこの本を読まない方は,たぶん人生の楽しみの少なからずを失い,大きな損をするでしょう。
 話の展開とさらに,文体というかレトリック,歌心のような文章に驚かされました。
 “川のほとりを散歩した。初夏の夕暮れ,静かに近づく闇は,あたりの輪郭をぼかしていた。私たちは,わざと日の落ちた時刻を選ぶ,身を寄せ合う大人の気持を,より引き立てると思うから。誰のものでもある風景が,その時,二人だけの秘密の絵に変わる。誰かに見られたってかまわない。でも他の誰も見たくない。私たちは,そう感じる瞬間を共有することを覚えた。
 夜のとばりは便利だ。集中できる。聞き慣れたはずの川の音が,いつもと違って聞こえる。水面に映る灯りが,見たこともない揺らぎ方をする。
 それらは,新鮮で美しいけれども,何やら不穏な感じがして,私は,彼の手を強く握る”(本書より)
 ネット書評の書込みにはこんな言葉ありました。
 “この小説では,大人の恋ばかりか,人はどうやって別れの悲しみ,心の中にある苦しみを乗り越えて立ち直っていくのか,ということが描かれている。それを描くためにこそ,山田詠美はいつも恋愛を書く”
 さらにこの本では場面転換のたびに挿入される20冊あまりの名作の引用があります。
 “おれ達がこうしてお互いに与え合っているこの幸福,皆がもう行き止まりだと思っているところから始まっているようなこの生の愉しさ,そういった誰も知らないような,おれ達だけのものを,おらはもっと確実なものに,もう少し形をなしたものに置き換えたいのだ”(堀辰雄著『風立ちぬ』より)
 巻末には出典としてまるで「予備校の国語教材」のように記されています。そのどれもが死によって終わる小説や詩歌で,そのこだわりが本筋と響きあっています。
 突飛な感想ですが,昨年NHK−BSで毎週末放送されていた山田洋次監督,渥美清主演「男はつらいよ」を私はほぼ毎週見ていました。
 そのなかで「男はつらいよ,恋の相合傘」のリリー(浅丘ルミ子)を本書の慈雨,寅さんを栄におきかえてみると,山田洋次監督と山田詠美さんの恋愛感に似たものを感じました。両山田さんに怒られそうですね。

 “人には,それぞれ逃げ込む場所がある。若い頃は,そのありかを捜して,見つからなくて,あがいたものだ。考えすぎて,自分の内に,それを求めたこともあった。でも,ある時,ふと気付いたの。目の前にある,私の心を引き寄せてやまないもの,それだけが,私の逃げ場所になるんだった。(中略)私が全身で受け止めた彼の面影は,いつも飲み頃に醸造されて,そこにある。ひとすくいで酔える。酔いは,旅だ。誰にも咎められる筋合いもない逃避行が私には許される”(本書より)