和辻哲郎 文人哲学者の軌跡

和辻哲郎―文人哲学者の軌跡 (岩波新書)

和辻哲郎―文人哲学者の軌跡 (岩波新書)

臨床看護2009年12月号 ほんのひととき 掲載
“緑ゆたかなこの鎌倉の禅寺・東慶寺に眠り、二度と目覚めないひとびとのうえにも、やはり時は流れ、移ろってゆくものだろうか。それとも、眠りついたたましいのかたわらで、時はただ立ちどまっているのだろうか。本書は、和辻が生きた時代を背景に、その思考と生の軌跡を跡づけようとするものである。(本書 まえがきより)”

昨年の秋に、みちのくをドライブ旅行しました。休日高速道路1000円に惹かれて、芭蕉の『おくの細道』紀行に沿いながらで、平泉まで一気に北に向かって走り、一関、鳴子峡最上川渓谷、庄内平野、酒田、鶴岡と紅葉を追いかけるような旅をしました。
栗駒山、月山、鳥海山の山頂はすでに雪化粧して、山里はすっかり晩秋の風情に心ときめきながら走り続けました。
自然だけでなく、思いがけない美術館に出会うことができました。酒田市の「土門拳記念館」(www.domonken-kinenkan.jp)です。建物自体もすばらしいデザインで、フロアの前には大きな池越しに、鳥海山を眺望できる美術館でした。写真家土門さんは酒田市出身で、「土門拳生誕100年記念、日本人のこころ、仏像巡拝」が開催されて、63点の大きな写真がゆったりと、広々としたフロアいっぱいに展示されていました。
“ 独特なライティングとクローズアップの手法で木像の木目や鑿痕(のみあと)のひとつひとつにまで美を見出し、克明に描き出される土門の仏像たち。暗く静謐な伽藍の中、一切の妥協を排し対象を凝視する土門の眼――土門のカメラをとおして伝えられる仏たちの姿からは、仏像そのものの造形美を入り口に、その内面にある像を作り出した仏師たちの心、そしてそれを見て美しいと感じるわたしたちの心までもが映し出されます。土門が出会い、心から魅せられ、対峙し、求め続けた仏像の数々。ぜひ「凝視」してみてください”(記念館パンフレットより)
奈良京都を旅するよりも数多くの仏像を、等身大にみることのできる写真展は圧巻でした。フロアのなかを何回もまさに「巡礼」しました。
土門さんの写真に啓発されて、和辻哲郎著『古寺巡礼』を再読しようと思いながら、満ち足りた気分で旅行から帰ってきました。
帰京後、昼休みに立ち寄ったクリニック近くの新書の新刊コーナーで、まるで導かれるように本書に出会いました。
“これらの最初の文化現象を生み出すに至った母胎は、我が国のやさしい自然であろう。愛らしい、親しみやすい、優雅な、そのくせいずこの自然とも同じく神秘を持ったわが島国の自然は、人体の姿に現せばあの観音となるほかない”(『古寺巡礼』より)
本書の中に引用されている一節を読むと、高校生の頃にこの『古寺巡礼』をよんで、奈良斑鳩の里に中宮寺弥勒菩薩像を拝観に行ったときの感動をあらためて思い出しました。
哲学者の書く文章はいままで難解なことが多くて敬遠してきたのに、どうして和辻哲郎さんの本は心にしみこむのだろうかと思っていた謎が、本書で氷解するようでした。
熊野さんは次のようにそのわけを解説しています。
“和辻の散文が有する、思考の文体としての独特な魅力にある。和辻哲郎は、一般的な読者にとってはなによりもまず流麗な日本語の使い手であり、一箇の文人哲学者であった。和辻の書(古寺巡礼)は、多くの青年を大和路の旅へといざなう。和辻の一書にさそわれ、あるいはみちびかれて、どれほど多くのひとびとが「巡礼」を開始したことであろう。和辻は一書のなかで、大和路の古寺について、仏像について、感動をこめて語り続ける。そこには、逡巡と疑惑のさなか、みずから打ちこむに足る対象を見出した、青年の喜びが脈うっている”(本書より)
この秋、自然、美術館、そして読書、私にとってはこころが穏やかになるひとときを過ごすことができた旅、巡礼になりました。