神様のカルテ2

神様のカルテ (2)

神様のカルテ (2)

臨床看護2012年3月号 ほんのひととき 掲載
“「現実を見てください。あなたを含めて、誰もが必死に駆け回り、何とか支えているのが地域医療の現場です。金銭的にも、労働力の面からも余力はないのです」
「承知をしても譲れないことがあります」
「余裕がなくても力を尽くさねばならぬことがあるのです」
「あなたは医師でしょう。もう少し医師として・・・」
「医師の話ではない。人間の話をしているのだ!」”(本書より)

本書は2010年に本屋大賞第2位を受賞した『神様のカルテ』の続編です。第1作は映画化もされたので、ご覧になった方も多いと思います。
作者の夏川さんは、信州大学医学部を卒業して長野県内の病院に勤務しているそうです。本書の主人公である「栗原一止先生」は、医学生時代に夏目漱石を読みふけって深く感化されたとの設定で、そこには夏川さん自身の姿が投影されています。ちなみにペンネームは「夏目漱石」と「芥川龍之介」のハイブリッドのようです。
つい自分より若い医者が書いた小説だと思うと、立ち読みして済ませてしまうことも多いのですが、前編同様に続編の本書も引き込まれて買ってしまいました。
ストーリーは前編よりも深みを持ち、医師、看護師、病院管理者、そして患者、それぞれの立場を丁寧に描いて、笑いだけでなく涙をさそうほどの読み応えがありました。
まずそのなかで私が、本書で強く引かれたのは、信州の山々の美しい表現です。
“信州の豊かな自然と相対した時、ふと心に浮かぶ名文がある。
「運命は神の考えるものだ。人間は人間らしく働けばそれで結構だ」
躍進著しい明治の日本において、ひとり静かにそう記したのは、文豪、夏目漱石である”(本書より)
本書の舞台「本庄病院」のある松本周辺は、私にとっては学生時代から毎年夏に硬式テニス部の合宿で過ごしたこともあり、自然の豊かな憧れの土地でした。卒業してからも休暇がとれれば、安曇野、美ヶ原、蓼科、八ヶ岳に家族で旅行してきました。その山々の情景を夏川さんは、夏目漱石の『草枕』風に漢語の多い表現で見事に描き出しています。
“信州には古くから「王の頭」と呼ばれる土地がある。標高は2034メートル、松本、上田、長和の三つの土地にまたがる堂々たる山嶺がそれである。(中略)
白雲を従えた壮麗な稜線は古代と変わらず、松本平を睥睨している。冬ともなれば山腹までもが一点の曇りもない白雪にうずもれる巨山の威風は、松本の市街地からも十分に感得することができる”(本書より)
さらに私が感じた本書の魅力は、地域医療の現場をかかえる問題点をリアルにとりあげて、『我輩は猫である』を読んだときに感じたような、ふっとしたユーモアを交えながら、描いている筆力です。
“「例えるなら、部長先生は美酒を醸し出す名杜氏。私はその酒に酔いしれるただの客・・・」
「あの人の手からは絶ゆることなく、『理想的医療』という名の吟醸酒が醸しだされているんです。私はそれを気に入って飲み続けているただの酔っ払い。時々二日酔いになったり、もう飲み飽きてやめようと思ったり、そんなことはしょっちゅうです」
「でもしばらく飲まないでいると、また飲みたくなる。うまい酒とはそういうものですか」
「正解。意外にやめられないんですよ、これが」”(本書より)
本書のもう一つの効用は、若いレジデントとベテラン部長や院長・事務長などの管理者との医療に対するスタンスの相違を描いた場面では、『坊ちゃん』を髣髴させるテンポのいい啖呵もあり、日々の医療現場のストレス発散にもなると思います。

“「世の中には常識というものがある。その常識を突き崩して理想にばかり走ろうとする青臭い人間が、私は嫌いだ。しかし、理想すら持たない若者はもっと嫌いだよ」”(本書より)