湘南 海光る窓

臨床看護2007年6月号 ほんのひととき 掲載
“日毎,窓から海を眺めるようになってまず感じたのは,「海は光る」ということである。一日の主な仕事も終るころ,西に移った黄金の海はいよいよ輝きを強めて語りかけてくる。(中略)
 私は,幼いころに耳にした亡母の呪文のようなつぶやきを思い出す。
 「日ィ暮れ,腹減り。日ィ暮れ,腹減り」
 一日が終って,腹が減る。それだけでも,人生,幸福なのだ。生活がシンプルであるかぎり,何かひとついいことがあれば,その一点から,心の海も黄金にまぶされて来よう”(本書 第1章「黄金の海」より)

 作家の城山三郎さんが今年の3月22日に逝去しました。享年79歳。神奈川県茅ヶ崎市に50年近く住んで最近まで取材,執筆を続けていました。
 新聞の文藝欄でも追悼記事が多く掲載されていました。
 “昭和34年『総会屋錦城』で直木賞を受賞した。経済界を舞台に人間,とりわけ経済人の身の処し方をテーマとした小説を書き続けた。実在の人間をモデルにしたノンフィクション風の小説で事実と虚構を織り交ぜたリアリティにあふれる描写が魅力的…”
 私にとっては大学生時代に初めて読んだ城山さんの小説が『毎日が日曜日』でした。商社マンの悲哀や定年後のあり方を描いていました。全く違う世界を見聞きするような興味を持ちました。
 さらに卒業して10数年経って『落日燃ゆ』(吉川英治文学賞)を読んでから,城山ファンになり多くの作品を買い求めました。
 『落日燃ゆ』は,A級戦犯に指定されて,東京裁判で唯一文官として絞首刑になった元首相の広田弘毅の生涯を描いた物語で,今までの経済小説家としてのイメージから大きく異なる感じがしました。
 城山さんは経済人に限らず人格高潔にして志をもつ男達を描き続けていました。戦争という大義と現実の違い,個人に犠牲を強いる全体や組織というテーマは,17歳で志願して海軍特別幹部候補生の軍隊生活を送った城山さんの経験に基づいているようです。
 「志は静かにつらぬかれるべきであり,それを成し遂げた人間こそ尊敬に値すると,文章の端々にひそませている」という印象は,昨年亡くなった吉村昭さんと同じように私には思われます。
 NHK追悼番組では,城山さんが幕末の徳島藩医,関寛斎の生涯を取材している姿を放映してました。藩医の身分を捨てて,70歳の高齢で北海道東部の厳寒の地,陸別町開拓に尽くした関寛斎の生き方に,城山さん自らを重ね合わせたのかもしれません。
 本書『湘南』は,「海の見える家に住みたい」という長年の夢をかなえて,湘南海岸の茅ヶ崎に移り住んで海をこよなく愛する城山さんが,四季折々の湘南と日毎に変わる「光る海」を愛情をこめて爽やかに描いたエッセイ集です。大学教員時代の教え子との同窓会エピソード,相模線に乗って大山丹沢の眺めを楽しむ小旅行記などほほ笑ましい話題を取り上げています。取材やインタビューでは,相手をにらみつけるようにいつも大きな眼を見開いている城山さんとは全く違った素顔を見るようです。
 茅ヶ崎のこの仕事部屋は「月洋亭」と名付けられていました。「月洋亭」の由来を城山さんは次のように書いています。
 “窓から月と海(洋)が気がねなく眺められる。その思いが第一。加えてそれとは矛盾するようだが,「毎日が日曜日ならぬ月曜日」との自己暗示。
 たとえ体はあそんでいても,頭のどこかはいつも目覚めて,仕事のことを考えていなくてはならぬ”
 私にとっても生まれ育った故郷である神奈川県の湘南海岸は,気持ちを入れ替えたいときによく行くところです。左手に三浦海岸。右手に伊豆半島,その間に帯状の空間に雄大な太平洋が広がっている眺めは,まさに心に「光る海」です。
 突飛ですが,茅ヶ崎サザンオールスターズ桑田佳祐,そして古くは加山雄三が歌い続けてきた海の街です。本書を読んでから,湘南海岸の浜辺に立つとまた今までと違う魅力をみつけることが出来ると思います。

 “城山さんは近年は,「この日 この空 この私」という言葉を好んでいる。ただひたむきに人間を見つめてきた老賢人の清明な境地を感じる”(新聞の追悼記事より)