一朝の夢

一朝の夢

一朝の夢

臨床看護2008年10月号 ほんのひととき 掲載
“「朝顔そのものが夢の花だと私は思っています。どんなに美しく咲いても、花は一日で萎れてしまいます。どんな朝顔でも出会いはそのとき限りの一期一会。つまり、槿花(きんか)、一朝の夢、です。」”(本書より)

この夏に読んだ本のなかで、すがすがしい読後感をあたえてくれた秀作をご紹介したいと思います。松本清張賞受賞作品で、表紙には幻の黄色の朝顔が描かれている、梶よう子さんの時代小説です。
新聞の書評欄で評論家の縄田一男さんが次のように激賞していました。
“今年のベスト作品。なんと慈しみに満ちた作品であろうか。作品は、幕末の下級役人である中根興三郎が、閑職にありながらも、己の分をわきまえ、周囲の人々の幸せを願い、欲でも得でもなく、ひたすら朝顔の栽培に生きがいとする男の物語である。
身分や思想・信条を超え、主人公に共感する茶人・宗観と浪人・三好貫一郎の美しい交誼。だが、時代は幕末であり、興三郎はそのささやかな矜持を愛する者を救えなかった哀しみや怒りに変えねばならず、彼の歩む道も一様ではない”
朝顔というと、小学校の頃に、家庭実習で朝顔栽培の経験を皆さんもお持ちのことと思います。あるいは夏の風物詩である「朝顔市」でしょうか?その朝顔園芸がもっとも発展したのは江戸時代です。
世界的に見ても、朝顔ほど花型が多種多様に変化した園芸植物ないそうです。その理由は、メンデル以前に朝顔の遺伝の法則が、経験的に知られていたからで、たくさんの種を蒔き、小苗のうちに葉の特徴から劣性遺伝子がホモに組み合わさったときにその形態をだす遺伝的変化株を選び出し、「出物」とよばれる花を咲かせる栽培が好事家によって広く行われていたからです。
本書の主人公の「朝顔同心」の中根興三郎もその一人です。藤沢周平さんの小説の設定と同じように、ごく「普通の人」の哀歓を描きながら、温もりのある日本の原風景と文化にさそってくれる雰囲気のなかで、普通にそして平凡に生きることがいかにむずかしいかを感じさせてくれます。
“「正直、困惑しています。私は万年姓名役で、朝顔作りが趣味の、それだけの人間です」
「そうだな、人は必ず誰かに必要とされることがある。うっかりその時期に当たってしまったか」”(本書より)
読み返すと、幕末の物語でありながら、9.11以降テロの恐怖におびえ、寛容さをなくしていく現代社会を映し出していることに気づかされます。
“すでにあるものを批判し、壊すことは容易い。あらたなものを生み出すほうが難しい。薩摩の若者はそれがわかっておらぬから、ここまで出来るのじゃ。物を創る人間の苦労も痛みも知らぬ”(本書より)
さらに深読みかもしれませんが、下級役人である中根興三郎の姿に「悩む力」を感じました。
“ろくに悩まずに短絡的な行動に走る人が増えてはいないか。今の社会を生き抜くには、身の丈に合った、自分らしい人生を生き、そこで自分になりに悩んで悩んで悩み抜くこと。身の丈を見つけ出すこと場所は、独り善がりな自分だけの世界でも、仮想現実でもない。他人とのつながりの中で自らが今、現実に身を置く社会だ”(政治学者 姜尚中さんの記事から)
幕末の歴史謎解きとしても面白いストーリーもさることながら、本書の大きな魅力は、その美しい文章です。とくに朝顔の魅力が瑞々しく描かれています。読みながら私は蕪村の一句を思い起こしました。
“ 朝がほや 一輪深き 淵の色  蕪村
一輪の小さな花の中に深淵の藍の色のすべてが湛えられているかのようだ。朝顔が咲く朝には、まだ涼しさの底に前夜の寝苦しい夏の名残が潜んでいる。深淵の色とは、水が湛える涼気を、言外に伝えるものである”
(高橋治著 『蕪村春秋』より)