ただマイヨ・ジョーヌのためでなく

ただマイヨ・ジョーヌのためでなく

ただマイヨ・ジョーヌのためでなく

臨床看護2001年1月号 ほんのひととき 掲載
“丘を「飛ぶように上る」ことなどできない。僕にできることは,「ゆっくりと苦しみながらも,ひたすらペダルをこぎ続け,あらゆる努力を惜しまず上っていく」ことだけだ。そうすれば,もしかしたら最初に頂上にたどり着けるかもしれないのだ。癌も同じだ。"(本書より)

 「マイヨ・ジョーヌ」(黄色いジャージ)というのは,毎年,夏に山岳を含むフランス全土4,000kmを3週間にわたって自転車で走るロードレース,ツール・ド・フランスの総合タイムが一番速い選手が着る,名誉あるジャージのことです。本書の装丁も真黄色のカバーで,書店のスポーツコーナーに置かれていても,おかしくないかもしれません。しかし,本書の原題は『It's not about the bike』(直訳「自転車についての話じゃない」)で,自転車についてだけの本ではありません。
 著者のランス・アームストロングさんは,1999年,2000年と,このツール・ド・フランスで2連覇したアメリカの自転車選手です。アームストロングさんは1996年,25歳のときに精巣癌を発病し,しかも初診時に肺・脳転移していました。手術・化学療法による苦しい闘病生活を乗り越えてカムバックして,翌年1999年にツール・ド・フランスに個人総合優勝した,その経緯を描いた自叙伝です。
 この本を私に薦めてくれたのは,精巣癌で,15クールの化学療法と4回にわたる手術で7年間も闘病を続けている患者さんでした。外来診察のときに,この黄色い装丁の本を持ってきて,「僕と同じ睾丸腫瘍の手術や抗癌剤治療のあとでも,ここまでやれると知って元気づけられました」と,ちょっとはにかみながらも明るい表情で話してくれました。彼もアームストロングさんと同じ20代半ばで発病しており,その後の長い治療経過と重ね合わせて読んだのでしょう。
 精巣癌は20〜35歳までの若い男性に多く,抗癌剤であるシスプラチンが導入された1980年以前までは,転移のある患者さんは,発病1〜2年以内に必ず亡くなるといわれていました。それが1980年代初めに,本書にも登場してくるアメリカのインディアナ大学のアインホーン先生を中心に,シスプラチンをベースとした多剤併用化学療法が開発されて,化学療法と手術によって,転移があっても予後のよい癌といわれるようになりました。
 “アインホーン医師のような人は信じるに値する人だ。20年前に志をもって実験的治療法を開発し,それが今,僕の命を救ってくれる。彼の知性と研究に対する世間の評価を信じる。僕は信念と科学の間の,どこに線を引けばいいのかわからない。でもこれくらいはわかっている。僕は信じることを信じる。そのすばらしさゆえに。どこを見渡しても希望のかけらも見えないとき,あらゆる証拠が自分に不利なときに,信じること,明らかな悲劇的終末を無視すること,それ以外にどんな選択があるというのか。"(本書より)
 罹患率の多くない腫瘍であり,また若い年齢層に多いことから,精巣癌の闘病記は,ほかの癌よりも少ないのでしょう。私は今回初めて,自分が専門とするこの領域の闘病記を読みました。治療後の無力感や再発の不安に怖れながら自宅療養・社会復帰する時期が,とくに若い患者さんにとって厳しいものかを本書から教えられたと思います。
 いつも診ている患者さんたちのことを思い浮かべて読んでいるうちに,ちょっと思い入れが強くなってしまいました。でも,最後のツール・ド・フランスで優勝するシーンは,一緒に自転車で走り抜けたような爽快な気分になれます。

 “僕はもう,自転車競技の選手であることが,人生での自分の役割とは感じられなかった。たぶん僕の役割は,癌の生還者としての役割だろう。僕が一番強く結び付きを感じ共感をもてるのは,癌と闘っている人たち,僕と同じように「自分は死ぬだろうか?」と考えている人達だ。"(本書より)