ヒト・クローン無法地帯;生殖医療がビジネスになった日

ヒト・クローン無法地帯―生殖医療がビジネスになった日

ヒト・クローン無法地帯―生殖医療がビジネスになった日

臨床看護2001年2月号 ほんのひととき 掲載
“人間てやつは,どんなことにも慣れてしまう……まるで怪物だ"
(ドストエフスキーの『罪と罰』の主人公ラスコーリニコフの言葉より)

 本書の著者のアンドルーズさんは,長年にわたって生殖技術や遺伝子診断技術を法的・倫理的観点から論じてきた法律家で,1997年にはクリントン大統領に「人間クローン研究禁止」を方向づける答申レポートを提出したことでも知られています。
 以前この連載で紹介した『神になる科学者たち;21世紀科学文明の危機』(第26巻第5号,pp. 716)や,『遺伝子と闘う人たち』(第25巻第11号pp. 1676)と同様に,生殖技術や遺伝子技術が開発されるやいなや,その倫理的影響を考える暇もなく,すぐに臨床場面にもちこまれることに大きな懸念を抱いて書かれた本です。
 米国における生殖医療の実際の現場を法律家としてかかわり,ネット上での精子ドナー探し,死者・昏睡状態の人からの精子採取,堕胎児の卵を採取して体外受精に使用,体外受精で残った胚の大量処分,そして,クローン羊ドリーの誕生で「クローン人間誕生」が間近に迫るという状況で,いま何が米国で起きているのかを生々しく事例をもとに描いています。
 “米国内の300以上のハイテク不妊クリニックでは,他の医療技術では当然行なわれる動物実験や無作為臨床試験,綿密なデータ収集などがまだ十分に行なわれていない段階で,最新技術がたちまち患者に試されている。生殖医療の現場はまさしくなんでもありの,医学における〈開拓時代の西部>なのだ"(本書より)
 折しも,日本では生殖医療のあり方を検討してきた厚生省の専門委員会が,匿名の第三者からの卵子の提供を認めるほか,不妊治療のために作られて余った受精卵(胚)を精子卵子ともに作れない別の夫婦に提供する道も開く方向を盛り込んだ報告書を,2000年12月にまとめる予定という新聞報道がありました。この委員会では,「法規制や医療機関の管理体制を3年以内に整えて,これらの治療を実現するよう求める」とされています。
 しかしながら,本書に描かれた米国の実状を読むと,この法規制や,倫理的問題が3年で解決できるような生やさしいものでは決してないことを思い知らされます。“医学におけるバイオテクノロジー革命は,われわれを,大学から証券取引所へ,『ニューイングランド・ジャーナル』誌から『ウォールストリート・ジャーナル』紙へと,移行させることになった"という指摘どおりに,まさに生殖医療がビジネスとして法規制に先行している米国の状況を,日本では厚生省が後ろ盾にあるから大丈夫と考える人は,たぶんいないと思います。
 たとえば,生殖医療を受けるカップルの心理として,“体外受精による胚移植をうけて失敗するたびに,カップルはどんどん,ギャンブラーのような心境になっていく。つぎの回には,前よりももっとたくさんの胚を移植してもらいたがるのだ"という点と,“不妊専門医たちが多胎妊娠の危険性に十分な関心をはらわない理由の一つは,その結果生じるトラブルに,医師たち本人が対処する必要がないという点にあるだろう。体外受精を行なう医師は,自分の手で選択的減数を行なうわけではない。また新生児集中治療室に立ち合って,視力障害や神経学的トラブル,脳性麻痺などに苦しむ赤ん坊を直接目にすることもないのである"という状況が,日本でも臨床現場で毎日のように起きていることでしょう。
 “科学は極度に高度化し専門化しており,優秀な科学者でさえもその実態に目を配り,社会的な意味を適切に判断することは困難になっている。だれもコントロールできない状況の下で,得体のしれない科学という怪物が文明を引きずり動かしているというのが近年の姿である"(『神になる科学者たち』)ことを,生殖医療という身近な問題からも実感できると思います。