断崖の年

断崖の年 (中公文庫)

断崖の年 (中公文庫)

臨床看護1996年6月号 ほんのひととき 掲載
著者の日野さんは自分自身で新聞などにも書いていますが、1990年に腎臓癌に対して腎摘出術を慶應病院でうけました。そのときの診断から検査、入院、手術、そして術後経過の体験をもとに書かれた小説が、この『断崖の年』です。その後も自叙伝的小説である『台風の眼』でも入院経過の記載がありますし、最近出版された短編集『聖岩』には、術後4年の外来通院をもとにした「カラスのいる神殿」がおさめられています。
この闘病生活をもとにした一連の小説が印象的なのは、闘病を通じて死ぬことの意味、ナゾを考えながら、「私」の意識の深層を言葉にした緊張感に富む作品である点だと思います。
日野さんの小説作風は、大きく2回変わったと指摘されています。当初は私小説的なものから、80年代に入り、虚構性、物語性、幻想性が強く押し出されている作品「抱擁」「夢の島」「砂丘が動くように」においては、現代人の感性と都市の廃墟感覚を鮮明に描いています。
そして90年代に入ると、再度大転換します。それが腎臓癌手術の体験であり、その体験をもとに、感性や幻想を吹き飛ばす恐ろしくリアルな小説が書かれるようなります。今回紹介する「断崖の年」と「台風の眼」では、生と死の境界でとらえられた強烈なイメージが描かれています。このように病気で小説家がその作風を大きく変換させることは、従来から指摘されていることですが、日野さんがたまたま私たちの病棟で闘病生活を送り、その後も外来通院を続けていることが、いっそう興味をもって読みました。
腎摘出後に注射された鎮痛薬によって幻覚に悩まされていた手術後の病棟での意識状態を克明に描いたあとに、日野さんは次のように述べています。
“人間の身体的な現実の共通部分に対する医療技術の進歩には敬意を払う。だが患者各人にとっては、医師からみれば「気のせい」に過ぎないような極めて個人的な特殊な心理的現実が、実は自分の現実なのでもある。検査機械の形や印象については先にも触れたが、これからの医療は患者の心理的個人性という領域への配慮がより必要になるだろう”(本書より)
その後に出版された「聖岩」のなかの第1章「カラスのいる神殿」では病院に対するイメージが病気の回復に伴って変化していく過程が、鋭く書かれています。
“自分の死に場所が絶対に病院の集中治療室か救急車の中だと自分こととして実感することは違う。始原と終末のドラマと神秘を受け持つのは、いまや病院である。病院はいまや病気を癒すだけの一施設ではない。それはわれわれの生の両端に無限に伸びている神秘にたずさわるいわば神殿のようなものだ”
されに病気の経過に伴う意識の深層の変化が病院の建物をみる眼さえ変化させるという次のような一節を読むと、通常の感覚では想像もつかないような感覚を病気体験がもたらすことに驚かされます。
“いよいよ濃い灰色の空を背にして、新館の建物全体が身震いするように相貌を変える。身を硬く閉じる鉄筋コンクリートの巨大な塊から、白い微光を放つ優しく威厳のある懐かしい建物へ、そしてまた無表情の高層ビルへと、まるで固まる途中のゼラチン状のふしぎな物体のように”
癌の告知を受けた手術前の夜には、「日常の意識が深くひび割れ、身体そのものの思念ないし知覚が意識の表面まで露出」し、「この世界と人生はどうしようもなく荒涼たるものに底深く侵されているという冷厳な現実への畏怖の念を改めて実感する」という記述を読んだ時には、改めて患者さんへのがん告知、そして病状説明、手術の説明がどれほどの衝撃を与えるのか、むしろ恐ろしさを感じました。
たんに患者心理を知るということだけでなく、生と死について深く考えさせられる日野さんの小説は、繰り返し読むたびに新たな発見があります。

(註;この原稿を書いた1996年5月当時は、私は慶応大学医学部泌尿器科専任講師でした)