ジーン・ワルツ

ジーン・ワルツ

ジーン・ワルツ

臨床看護2009年1月号 ほんのひととき 掲載
“「今から半世紀ほど前の1960年(昭和35年)には、新生児周産期死亡は千人中45人でした。今は千人中4人になっているわ。ここからわかることは、ふたつ。こうした減少を達成できたは、現場の産婦人科医療の絶え間ない努力の産物であること。それから、これほど医療が進歩した今でも、赤ちゃんは千人中4人は死産するということ」”(本書 主人公・産婦人科医曽根崎理恵の講義より)

つい最近、東京で救急搬送された妊婦が相次ぎ受け入れを拒否されて、くも膜下出血で死亡する痛ましい報道がたて続きにありました。医療崩壊の社会不安を映すかのように周産期の救急体制についてマスコミでも連日とりあげられていました。ちなみに手元にあった小児科の教科書をみると、数年前の統計で日本の妊婦死亡は1年間で54人、出産10万件あたり5人だそうです。
また福島県では癒着胎盤帝王切開で妊婦さんが亡くなり、産婦人科医が逮捕されるという、医療関係者特に外科系医師から見れば、司法警察の強引で無謀な事件がありました。先日ようやく裁判で無罪判決が下りました。しかし、瀕死状態だった地域医療と産科医療はあの一撃で息の根を止められといわれています。地域医療はたちまち萎縮して、各地で産科医療からの撤退表明が相次ぎました。
現役医師を続けながら、『チーム・バチスタの栄光』などベストセラーを数多く出している海堂さんの近作である本書は、昨年の福島県大野病院事件の裁判中に雑誌「小説新潮」に連載されて、判決前の今年3月に単行本として出版されました。
“どこまでが医療で、どこまでが人間に許される行為なのか。強烈なキャラクターが魅せる最先端医療ミステリー! 美貌の産婦人科医・曾根崎理恵――人呼んで冷徹な魔女(クール・ウイッチ)。人工授精のエキスパートである彼女のもとにそれぞれの事情を抱える五人の女が集まった。神の領域を脅かす生殖医療と、人の手が及ばぬ遺伝子の悪戯がせめぎあう。『チーム・バチスタの栄光』を越えるドラマティックな衝撃があなたを襲う!”
かなりセンセーショナルな新聞広告をごらんになってすでに読まれた方も多いと思いますが、本書の内容には海堂さんの医療行政・司法に対する憤りが随所におりこまれています。
“医療のデフレ・スパイラルが顕著なのが小児科であり、また産婦人科である。どちらも、厚労省が旗を振る“少子化問題対策”の根幹を支える診療科だ。国民のためと称して行った改革が、市民生活の土台をなし崩しにしていくというのは、霞ヶ関お得意のブラックジョークだろう。
医師だから、医療技術だけに集中していればいいという時代はとっくに終わりました。社会情勢に無関心な姿勢では、自分が理想とする医療を全うできない。誠実に医療に従事していても、悪意なき過失で逮捕されてしまう辱めを受けることになりかねない”(本書より)
古くは加賀乙彦さん、最近では帚木蓬生さんや海堂さんを代表として、現役医師執筆による医療をテーマとする作品が相次いで発表されていて、「医療小説」と呼ばれる新しいジャンルを特集する小説雑誌もでてきました。その特集の中で、「医療に対する潜在的な危機感が、私の小説に関心を向けさせている大きな要因の一つである」(海堂さん)、「社会の矛盾を突いた作品を読み続けていると、人間はボディーブローを喰ったように変わっていくと思う」(帚木さん)という言葉が紹介されていました。
医療人の危機意識と、“文学を読むことで得られる大事なことは、それによって培われる想像力。何をまだしゃべっていないかを気がつく能力、それが想像力”(立花隆)の向上に、この「医療小説」というジャンルは直截な手立てになると思います。

私事ですが、長男夫婦に初孫娘がつい先日生まれて、私はグランパになりました。本書を読みながら、母子とも無事の出産のありがたさを深く感じていました。