季節のかたみ

季節のかたみ

季節のかたみ

臨床看護2003年3月号 ほんのひととき 掲載
“親子は,ではどこがつながっているのでしょうか? 愛をいう答えが良く出るようです。愛は強くもある反面もあるが,もろいところもある。断絶部分の重みがかかってくるとき,愛だけでたしかに持切れるでしょうか?
 「生きていく上に役立つ知恵の授受」がいくつあったのかということが,子が親に結ぶ長持ちする連結部分につながっていると,わたしの場合はいえます。
 知恵の受けわたしは愛よりずっとさばさばしているから,まだしも受け入れやすいし,後にはいつかそれが親子のつながりになる,そんなふうに思うのです。一生の役に立つこと,強いのではないでしょうか"(本書「ございません」より)

 幸田文さんの本は,本連載の第1回目に『闘』を取り上げました。武蔵野の自然に囲まれた結核療養所での,さまざまな患者と医者と看護婦の姿を,四季の季節の流れのなかで淡々と,しかも愛情に満ちた細やかな文体で綴った本でした。
 今年の正月,NHK特集『幸田家のひとびと』という番組で,明治から平成にかけて露伴,文,青木玉奈緒と4代にわたって作家を生み出した幸田家の歴史と人間模様が,ドラマ仕立てのドキュメントとして放映されました。ご覧になった方も多いと思いますが,露伴中村梅雀が,文を原田美枝子さんが演じて,幸田家の住んでいた小石川や,『五重塔』の舞台になった谷中,戦前の下町情緒の残る向島隅田川などの,幸田家の思い出の映像をまじえて紹介されていました。
 “幸田露伴,文父娘は腰肚文化の家元的存在である。露伴は文に拭き掃除や薪割りをはじめとして家事全般を叩き込んだ。露伴の鍛え方は,獅子が子をあえて谷底に突き落とす伝説のように厳しい。自分でやって見せては技を盗ませ,すぐにやってみせる"と『声に出して読みたい日本語』のなかでも触れている斎藤孝さんも,番組の中に登場していました。
 こわごわコツンと薪を割る文に露伴がコツを伝授するシーンでは,“働くときに力の出し惜しみをするのはしみったれで,醜で,満身の力を籠めてする活動には美がある。からだごとかかれ。横隔膜をさげてやれ,手のさきは柔らかく楽にしとけ,腰はくだけるな"(幸田文著『こんなこと』“なた"より)という姿を原田美枝子さんが好演していました。
 そのなかで,とくに印象に残ったのが,冒頭に引用した随筆集『季節のかたみ』の一節の朗読でした。「生きていく上に役立つ知恵の授受」が父娘2代を超えて,曾ひ孫まごの奈緒さんへと引き継がれていく姿をみていると,親子の絆にとどまらずに,教育とか,医療面でいえば,ふだん若い研修医や病棟スタッフに伝えたいさまざまな「知恵」「コツ」,さらには「姿勢」の受け渡しの大切さを改めて感じました。
 番組を見た翌日に『季節のかたみ』を買い求めました。幸田文さんが60〜70歳代にかけて書かれた随筆集です。装丁も,文さんの好みの着物からとられていて“移ろう時に注ぐ瑞々しい視線,(いさぎよい言葉の魅力"と紹介されているように,勁く豊かな文章の54篇の随筆がまとめられています。
 “別れだの終わりだのは,事のしめくくり,情緒の栄養剤,生活の清涼剤ではなかろうか。別れの哀嘆に出逢ったとき,人はみがかれると思う。私たちの胸には,日常ああ思う,いわば情念のごみみたいなものが山とつまれているが,別れや終わりはそれを吹き飛ばしてくれる,冷えた風のようにわたしは思う。痛みを伴うけれど,別れとは,いいものである"(本書「ことしの別れ」より)
 すっきりと立ち坐り,まっすぐに生活や周りの人々に接する文さんの心映えが,文章を読むうちにこちらに乗り移ってくる,そんな力があるようです。

 “困じごとにからまれて,心くらむことがあったら,眼を閉じて,たとえば貝の産む真珠,たとえば空飛ぶ鳥,などへ思いを凝らしてみてはどうか,とすすめたい…心の凍てつくとき,眼を閉じて,身は伊豆のいで湯の中,と思ってごらん。湯を思えば,湯はきっと答える"(本書「こわれた時計」より)