詩歌の森へ;日本詩へのいざない

詩歌の森へ―日本詩へのいざない (中公新書)

詩歌の森へ―日本詩へのいざない (中公新書)

臨床看護2003年5月号 ほんのひととき 掲載
“太古の神々や天皇の歌から始まって,日本列島は代々詩歌の森におおわれてきた。山野の緑は減っても,言の葉はなお茂り,さやぎつづけているのだろうか。列島住民の魂の究極のよりどころは,この詩歌の森のうちにこそあるのかもしれぬ。この森をさまよい,言の葉を拾い,しばしことばの森林浴をこころみよう"(本書「春の涙」より)

 本書は,平成11年4月〜同13年12月までの約2年9カ月間,日経新聞の日曜日の文化欄に連載された「詩歌の森」143章を収めた本です。日曜の朝に,芳賀さんのこのコラムを読むことが,その頃の私の毎週の楽しみでした。芳賀さんが愛誦している作品の数々は,朝の新鮮な気分と挽きたてのコーヒーによく合い,気に入ったときには,このコラムをよく切り抜いていました。
 今回,中公新書の一冊にまとめられて読み直してみると,芳賀さんの専門である比較文学比較文化風の読み方や連想の試みによって,あらためて日本語の美しさや,それによって綴られた日本詩文の美しさと,さらに何千年かにわたる日本の造形藝術の豊かさが,美しい映像の森と,そのさやぎの広がりをもっていることを感じさせてくれます。以前この連載でも取り上げた,『声に出して読みたい日本語』(斎藤孝・著)と共鳴するところも多いと思います。
 「あとがき」のなかで芳賀さんは,本書の特徴を次のように述べています。
 “私は敗戦直後のころから,詩歌,とくに日本詩歌のゆたかさと面白さに眼を開かれ,それを比較文学比較文化の観点から読解することを教えられてきた。本書のなかに鷗外,敏,荷風,大學,春夫,それに金素雲にいたるまでの名詩名訳をたくさんとりあげることになったし,他の詩歌についてもどこかに比較文学比較文化風の読みや連想を試みていることが多い。それがこの一種の詞華選(アンソロジー)の一つの特色といえばいえよう"
 たとえば,永井荷風・訳のヴェルレーヌ「ぴあの」の冒頭2行を取り上げています。
 “しなやかなる手にふるるピアノ
 おぼろに染まる薄薔薇色の夕に輝く
 荷風の訳は,七音重ねを含んでいてしなやかで,みごとだ。「薄薔薇色」という字面までが美しい。この訳詩(初出明治42年)以来はじめて,夕映えとその反射の色を「薔薇色」とか「薄薔薇色」と認識し,表現もするようになったのではないだろうか。鎌倉後期の永福門院は「夕日のかげぞかべに消え行く」と言い,芭蕉は「あかあかと日はつれなくも」と嘆き,北斎や広重の名所絵のなかの夕焼けは洋紅の紅か茜色だった。それがいまは「薄薔薇色」,訳詩の一行が日本の夕焼けの色を変えたのである"(本書「薄薔薇色の夕べ」より)
 さらに,芳賀さんのこの『詩歌の森』を通じて私自身初めて教えられたのが,韓国詩人金素雲昭和15年,東京で出版した朝鮮近代詩の訳詩集『乳色の雲』(岩波文庫「朝鮮詩集」)です。
 “ポプラは村の指標のやうに 少しの風にもあのすっきとした長身を抛物線に曲げながら 真空のやうに澄んだ空気の中で 遠景を縮小してゐます。身も羽も軽々と蜻蛉が飛んでゐます。
 鼻が痛くなるほどに澄んだ朝鮮農村の初秋の空が浮かんでくる。その「真空」のような青のなかに,モネの絵のように連なるポプラの並木,そしてまるでモーツァルト作のアリアのように高く軽くただようトンボの群れ,それを眺めている詩人の,解放と自由とすこやかさへの希求の切なさが,心にせまる"(本書「韓国の空の赤とんぼ」より)
 これを読むと,芳賀さんが繰り返し述べている「すぐれた訳詩」とは,異国文化と日本詩歌の伝統の直接遭遇の現場にほかならず,両者の対決と交流のなかから思いもかけぬ混血の美が輝き出るということが実感されます。

 “一篇の詩が苦境から脱出するきっかけになったり,人情の奥行きをかいま見せたりすることは,誰しも経験するだろう。そんな,心に働きかけてくる詩を知れば知るほど,人生は豊かになる"(本書より)