声に出して読みたい日本語

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臨床看護2002年8月号 ほんのひととき 掲載
“ここに採録した言葉は硬く滋養にあふれたものばかりだ。この本にとった文章は,かめばかむほど味がでる。しかも顎を鍛えてくれる。つまり,「するめ」である"(本書あとがきより)

 昨年の9月に刊行されて以来,ベストセラーを続けている本書をすでにお読み,あるいは朗読・暗誦された方も多いと思います。著者の斎藤さんは明治大学文学部助教授で,教育学・身体論を専攻しており,『身体感覚を取り戻す』では昨年度の新潮学芸賞を受賞しています。
 “私がこの本を編んだねらいは,もちろん暗誦・朗読文化の復活にあるわけだが,実はその大元には身体文化のルネッサンスというヴィジョンがある。この本に採録されたものは,文語体のものがほとんどである。古い言葉遣いには,現代の日常的な言葉遣いにはない力強さがある。身体に深く染み込むような,あるいは身体に芯が通り,息が深くなるような力が,このテキストに収めた言葉にはある"
 身体論という耳なれない領域と,教育との接点がこうした目的のなかに潜んでいるようです。そしてこのいわば骨太のプロットにそって選択された文章は,従来の「名言集」にはない輝きがあります。
 以前この欄でご紹介した鷲田清一さんの『聴くことのちから』の一節を思い起こしました。“ことばにも,ひとのからだにじかにふれてくるところがある。きめがある,と言ってもいい。ことばは,メッセージとして,あるいは記号としてなにかある意味内容を伝えるだけでなく,声としてだれかにふれてくる。ことばがふれる,あるいは届くというこの出来事は,じぶんのそれとは響きを異とにする声がいわばからだを撃つ,あるいは皮膚にまとわりつくということではすまない。…そこに起こる同調とか共鳴,共振といった出来事は,ひとの存在に大きな「ぶれ」を呼び起こし,ついには「ふれ」させもする"
 この「ぶれ」をさらに斎藤さんはさらに強めて「腰肚(こしはら)文化」というキーワードを用いて,身体に活力を与える言葉という基準でテキストに収めた言葉を選んでいます。
 “私は日本の伝統的な文化の柱として,<腰肚文化>と<息の文化>の二つを挙げたことがある。深く息を吸い,朗々と声を出す息の文化が身体の中心に息の道をつくる。腰肚を据えるということも,横隔膜を下げて深く呼吸すること抜きには意味をなさない。身体全体に息を通し,美しい響きを持った日本語に身体全体で味わうことはひとつの重要な身体文化の柱であった"
 大きな活字でしかも綿密な構成で作られた本書の言葉を暗誦朗読することは,ちょうど聖書のような宗教書を読んだときの力を与えてくれます。もし病院に入院したときにはベッドサイドに必ずもって行きたくなる本だと思います。
 さらに本書のもう一つの魅力は,斎藤さんの歯切れの良い著者の人物紹介です。まるで巻頭に引用された「知らざあ言って聞かせやしょう」(歌舞伎;白浪五人男)という,ビシッときまったセリフのような鮮やかさがあります。そのいくつかをご紹介しましょう。
 “清少納言は「価値感ねえさん」だ。近ごろは価値観ならぬ価値感が大手を振って歩いている。自分の感覚を第一に価値を決めていくやり方だ。彼女はこの価値感スタイルの元祖だ"
 “孔子は人生の名指圧師である。もたもたした論理をいじり回さずに,相手のツボを直接深く抑える。弟子達の質問にだらだら答えない。つねに端的である"
 “漱石は近代日本の悩みを一身に背負い込んだ奇特な人物である。漱石は今読んでも古くない。高校生でも漱石に共感できる。それは漱石が自分の死後百年以上にわたって続く精神的な課題を強靱な足腰と背骨で背負っていたからだ"
 漱石や鷗外が中学の教科書から消えていくことになった教科書検定制度の愚に対する斎藤さんの怒りの啖呵が聞こえてくるようです。