「世界遺産神々の眠る「熊野」を歩く

縛られた巨人―南方熊楠の生涯

縛られた巨人―南方熊楠の生涯

11月の連休に初めて熊野古道南紀白浜へ旅行しました。
南方熊楠の生涯を描いた本『縛られた巨人』、『巨人伝』を20年前に読んで以来、いつかは熊野を歩いてみたいと思いながらも、和歌山県にいく機会がなかなかありませんでした。
白浜にある「南方熊楠記念館」は、熱帯雨林の植物園のようなうっそうとした小高い岬の上にありました。屋上の展望台からは、紀州山地、熊野灘、広々とした太平洋、そして戦前に昭和天皇行幸の際に熊楠が粘菌類の説明をした神島(かしま)が一望できました。
熊野三社、那智の滝熊野川十津川村高野山、そして龍神温泉、渡瀬温泉と今まで感じたことのないような原始の自然の雰囲気に浸ることができました。
旅から帰ってきてからも、熊野の歴史・自然を描いた本を読みながら旅の余韻を愉しんでいます。

続・もうひとつの謎解き 医療従事者のためのおすすめ読みもの18

小児看護2014年12月号 書評欄掲載
“すべての読みものは人間社会と深くかかわっているから惹きつけられる。そしてその中にどこかで医学・医療との接点がある。そんな視点でまとめた本書を受け入れて頂ければ、幸いである” (本書 はじめにより)

4年前の2010年に斬新なアイディアが詰め込まれた、外科医・小川道雄先生の読書案内がでました。
“趣味の読書の対象は、私の場合は正座して読む本ではない。週末以外にも国内外の学会などで移動するときに、大量の小説を読んでいる。移動中に眠ってしまわないように読む本となると、ミステリーが多い。(中略)私の読んだ本の中で誰にでも面白いと思え、しかもあまり知られていない小説を推薦し、それに最近の医学の進歩を加えるシリーズとすることにした”(『もうひとつの謎解き』 はじめにより 2010年へるす出版刊)
そして今年、待望の続刊が発売されました。4年前の『もうひとつの謎解き』では、<医師の目で読む おすすめ小説23>となっていた副題が、今回は<医療従事者のためのおすすめ読みもの18>と変わったのは読者層の広がりによるものと思います。
今年春に本誌の書評欄で取り上げました小川先生の訳による『外科医の悲劇 崩れゆく帝王の日々』(ユルゲン・トールヴァルト著 へるす出版刊)は、難しいと思われた読者の方も多かったと思います。しかし本書では小児看護を専門とされる読者の方々にもなじみのある疾患が多くでてきますし、リラックスして読める読書案内です。
今回小川先生がとりあげた18冊の本のなかで、私自身が読んだことのあった本が3冊だけありました。『使命と魂のリミット』(東野圭吾著)、『がんと向き合って』(上野創著)、そして『崩れゆく帝王の日々』で、残りの本は今、1冊ずつ近くの本屋で立ち読みしたり、買い求めて通勤中に読んでいます。
『がんと向き合って』は、26歳で進行性の睾丸腫瘍に罹患した、朝日新聞記者の上野さんの闘病記でした。私の専門とする領域疾患でもあり、同じような睾丸(精巣)腫瘍で化学療法をうけようとする患者さんにお勧めしたこともありました。本書ではこの本を小川先生は、ご自身の大怪我と重ね合わせて次のように紹介されています。
“3カ月ほど前に、自分の不注意で階段を滑落。顔面制動だったため、頚髄を傷つけた。中心性脊髄損傷である。「一寸先は闇だなあ」とつぶやく。一寸先どころか、十年先でも、光が差していると思い込んでいたのに。そのとき同じような言葉のでてくる本を10年ほど前に読んだ、確か闘病記だったなあ、とベットに横になって考えた。動き回れるようになり、ようやく見つけ出した。上野創著『がんと向き合って』である。原文では「一寸先も一千万光年先も、闇ではなく光のはずだった」となっていた”(本書より)
長年外科医として活躍されてこられた小川先生が病床で動けなくなっているときに、かつて読んだ若い患者さんの闘病記が心の避難袋になっていたとこの文章からは推測されました。本のもつ治癒力とでもいうものでしょうか?
前書<医師の目で読む おすすめ小説23>と違った雰囲気が、この続編<医療従事者のためのおすすめ読みもの>から感じられるのも、先生が病床でこの本をまとまられたことに起因するのかもしれません。
私にとっては、かつて担当していた書評欄でも紹介しましたが、幸田文さんの『闘』が心の避難袋になったことを思い出します。昭和40年に発表された作品で、武蔵野の自然に囲まれた結核療養所を舞台に四季の季節の流れのなかでさまざまな患者と、医師・看護師の姿を幸田さんが淡々と細やかな文体で綴った小説でした。学生時代から繰り返して読んできた幸田さんの本に、私は家族の看病で何度も心が折れそうなときに救われました。
日常の小児看護でご苦労されている読者のみなさんにも、心の支えになる本が、目利きの小川先生の読書案内の中にきっとあると思います。

“文学を読むことで得られる大事なことは、それによって培われる想像力です。何をまだしゃべっていないかを気がつく能力、それが想像力(立花隆)”

ミラノ 霧の風景

ミラノ 霧の風景

ミラノ 霧の風景

今年10月に横浜の港の見える丘公園にある、神奈川県近代文学館で『須賀敦子の世界展』が開かれてます。須賀敦子さんは、イタリア文学の日本語翻訳家、そして日本文学のイタリア語翻訳家として数多くの翻訳作品を残された方です。須賀さんが初めて、ご自分のエッセイ集として1990年に刊行された本書『ミラノ 霧の風景』は、「講談社エッセイ賞」「女流文学賞」を受賞した作品です。すでに須賀ファンの読者の方も多いと思いますが、私は2008年にはじめてこのエッセイを読みました。
懐かしさもあり、先日この文学館に行ってきました。須賀さんの出生、学生時代、留学時代、そして帰国後の翻訳家文学者としての航跡が、折々のエッセイの文章と写真、そして直筆の原稿や手紙が数多く展示されていました。
神戸夙川、東京南麻布、聖心女学院、慶應大学、フランス・パリ、イタリアのミラノ、ヴェネチア、フィレンチェなど昭和初期生まれの須賀さんの生涯をたどることができました。旅に行ったことのある街角の写真や、これから旅行したい街の紹介にもなるほど、地図や歴史、宗教とのかかわりが丁寧に展示されていました。
帰りには今まで呼んだことのなかったエッセイ集や、写真集を文学館の売店で買い求ました。外に出ると、秋の日に照らし出された横浜港の青い海と、ベイブリッジの眺めが目に飛び込んできました。まるで長い船旅からもどってきたような心の充足感を覚えました。
2008年に書いた『ミラノ 霧の風景』の書評を再録します。<臨床看護2008年11月号 ほんのひとときに掲載>

“「閉じこもった悲しみの日々にわたしが
自分を映してみる一本の道がある」 (イタリアの詩人、サバ)
なぜ自分はこんなにながいあいだ、サバにこだわりつづけているのか。20年前の6月の夜、息をひきとった夫の記憶を、彼といっしょに読んだこの詩人にいまもまだ重ねようとしているのか”(『トリエステの道』)より)

1953年、須賀さんが24歳のときにイタリア、ミラノに留学してから13年間在住したときの日々を帰国後20年たって、60歳になってから出版されたエッセイ集です。
「イタリアで暮らした13年間の遠い日々を追想し、人、町、文学とのふれあいを綴るエッセイ」と紹介されている、この本を読んで私が強くひかれた魅力は、須賀さんの生来率直で聡明、好奇心いっぱいの女性の、素晴らしかった人生が見えてくるような美しい詩のような文章です。そしてミラノを中心にして、市井のイタリア人の生活、人々との交わりの描写が胸を打ちます。
トスカーナの農村での思い出を綴った章をよむと、美味しいイタリア料理の香りがしてきそうです。
“カルディーネの緑に埋もれた白壁の家が目に浮かぶ。枝の剪定から実を採り入れて搾るところまで手塩にかけて作ったオリーヴ油、ジーナが台所で捏ねて村の共同竈で焼いた肌理のあらい塩気のないパン、裏の畑でとってきたばかりの匂い立つバジリコの枝やトマト、軒につるして乾かしたニンニク” (本書より)
私は、5年前にジェノワでの学会発表の折に、はじめてイタリアを旅しました。ローマ、フィレンチェ、そしてトスカーナ地方を列車で旅したときの、車窓からの眺めを思い出しながら、本書を毎晩枕元において、ゆっくり味わいました。
“ジェノワからローマへ行く電車の車窓から眺めたピサの斜塔、聖なる野(カンポ・サント)と呼ばれる墓地の塀の白い連なりに目を瞠り、さらに、この群がる白の饗宴を、おなじ白さの塀で仕切ったうえで、緑の草地に出現させた空間設計の才能に感動した”(本書より)
そしてこの本の底辺には、須賀さんがミラノ留学中に出会ったイタリア人のご主人、ベッピーノとの結婚、そして数年後の死別の深い哀しみが流れています。
その哀しみを表現するときに、イタリアの辺境トリエステに生きた20世紀屈指の詩人サバを随所に引用しています。
“詩人サバは、毎日の生活のなかでは孤独や不眠や疎外感に苦しみながら、詩ではいつもきちんとした職人の態度を失わない厳しい詩への姿勢が、終始彼の抒情を裏付けている。彼は詩人の独善を神秘性などと詐称して読者に押しつけたりしなかった”(本書より)
サバの初めての邦訳詩集を手がけた須賀さんは、全詩集『カンツォニエーレ』をつねに傍らに置いていたそうです。
いつか読んだ書評に、「須賀さんの随筆を読むと必ずファンになる」、と書かれていたことを思い出しました。もっと早く、読んでおけばよかったと思う反面、いま私自身が大きな哀しみを癒しているときにこの本に出合えてよかったとも思っています。
  
“ 死んでしまったものの、失われた痛みの、
 ひそかなふれあいの、言葉にならぬ
 ため息の、
 灰。”
 (ウンベルト・サバ 《灰》 :本書あとがきより)

旅をする木

旅をする木 (文春文庫)

旅をする木 (文春文庫)

“英語で “it made my day”という言い方がある。つまり、そのわずかなことで気持ちが膨らみ、一日が満たされてしまう。人間の心とはそういうものかもしれない。遠い昔に会った誰かが、自分を満たされてしまう”(本書 ビーバーの民より)

4年前にカナディアンロッキーを旅したときに読んだ本を、この夏休みに再び旅行する機会があり、読み返しました。
忘れていた時間がまたもどってきた気分です。再度、このブログにアップしますね

“無窮の彼方へ流れゆくときを、めぐる季節で確かに感じることができる。自然とは、何と粋なはからいをするのだろうと思います。一年に一度、名残惜しく過ぎてゆくものに、この世で何度めぐり合えるのか。その回数をかぞえるほど、人の一生の短さを知ることはないのかもしれません”(本書 赤い絶壁の入り江より)
蒼い水の中を「およぐシカ」の表紙が極北のイメージをふくらませてくれる本書は、アラスカに永住して美しくも厳しい自然と動物たちの生き様を写真に取り続けた星野道夫さんのエッセイ集です。
皆さんのなかにも星野さんの写真集をみた方も多いと思います。15年前にカムチャッカで熊に襲われて急逝されたニュースを聞いたときに、写真のことばかり報道されて、星野さんが静かでかつ味わい深い言葉でつづったエッセイのことを私は知らずにいました。
桜が咲いたのにみぞれ混じりの雪の降るような、寒暖差の大きい今年の4月に友人から本書を贈ってもらい、アラスカの厳しい自然の中から紡ぎだされたような文章に魅かれました。
“頬を撫でてゆく風の感触も甘く、季節が変わってゆこうとしていることがわかります。アラスカに暮らし始めて15年がたちましたが、ぼくはページをめくるようにはっきりと変化してゆくこの土地の季節感が好きです。(中略)
人間の気持ちとは可笑しいものですね。どうしようもなく些細な日常に左右されている一方で、風の感触や初夏の気配で、こんなにも豊かになれるのですから。人の心は、深くて、そしてふしぎなほど浅いのだと思います。きっと、その浅さで、人は生きてゆけるのでしょう”(本書 新しい旅から)
四季の移ろいがゆるやかな日本に暮らしていると、つい忘れてしまうような自然への鋭い感性が星野さんのバックボーンになっていると思います。詩人のような簡潔で的確なことばを読んでいると、いままでもこの欄で何回か紹介した詩人・長田弘さんの詩集を私は思い出しました。
“本のもつ魅惑は、本のもつ「今」という時間の魅惑です。一人のわたしがそこにいると、はっきり感じられるような時間です。本を読むというのは、そのような「今」を、じぶんのもついま、ここにみちびくこと、そして、その「今」を酵母にして、一人のわたしの経験を、いま、ここに醸すことです”(長田弘著 『すべてきみに宛てた手紙』 より)
1978年から永住した星野さんが、アラスカで出会った先住民族の人々や、開拓時代にやってきた白人の歴史を織り込みながら、きっと満天の星空のもとで静かにつづった言葉の根底には、強い輝きを感じることができます。そして本書を読み終えてから星野さんのサイト(http://www.michio-hoshino.com/)で極北の写真を見直すと、一枚一枚の写真にこめた星野さんの想いをはっきりと読み取れるようです。本書の題名の「旅をする木」が、なにを意味するのかは読んでのお楽しみにとっておきますね。

“一枚岩のような花崗岩の岩壁、氷河が切れ落ちた断面の深い青さ、巨大なクレパスの造形、生き物がいるわけでもなく、花が咲いているわけでもない、ここに入ってくるものを拒絶するようなただ無機質な風景なのに、人間の気持ちを高みへと昇華させてゆくような不思議な力をもった世界です。
毎日を生きている同じ瞬間、もうひとつの時間が、確実に、ゆったりと流れている。日々の暮らしの中で、心の片隅にそのことを意識できるかどうか、それは、天と地の差ほど大きい”(本書 もうひとつの時間より)

太陽の棘

太陽の棘

太陽の棘

"私がいま眺めているのは、一枚の海の絵だ。
みどりと青との二色に、おおまかに分けられた絵。みどりは豊かな島の大地を示し、青は無限の広がりを秘めて静かに広がる海を表している。少し毛羽立った、けれどリズミカルな筆致は、さざ波の上で跳ねている太陽の光を、大地を豊かに覆う夏草を、そのあいだをかき分けて通り過ぎる風を感じさせる。

心も、体も、24歳だったあのころの自分に、ふいに還ったかのように感じることもある。一瞬で移動して、首里の小高い丘の上に佇んでいるような。風が、吹いている。南西風だ"(本書より)

私は研修医4年目の1年間、沖縄県琉球大学で研修しました。30年前、まだ医学部が発足する前の保健学部付属病院での研修は、たいへん思い出深いものがありました。
 そして毎週末に病院の仕事が終わると車に乗って、美しい海へ行き、習ったばかりのシュノーケルでさんご礁の海に潜ることが楽しくてなりませんでした。
 あの頃の夏の陽射しと、海から吹きぬける風を感じさせる本を最近読みました。原田マハさんの『太陽の棘』です。太平洋戦争直後の沖縄の社会状況、さらには駐留米軍を中心とした医療状況を初めてこの本を通じて知ることができました。
 私が研修した時期はすでに沖縄返還から10年は経っていた頃でした。研修の忙しさにまぎれて、沖縄の歴史文化を勉強する余裕がなかった1年間でしたが、本書は私の中の空白を埋めて生きたいと思う契機になりました。

外科医の悲劇 崩れゆく帝王の日々

崩れゆく帝王の日々―外科医の悲劇

崩れゆく帝王の日々―外科医の悲劇

小児看護 2014年4月号 書評欄に掲載

“連帯意識はどの社会、職業にもあり得る。医師の職業上の連帯が問題とされるのは、それが生命に直接関係しているからであろう。したがって外科医ザウエルブルッフのときに対応すべきだった方策、すなわち通報制度、それを評価すべき独立した審査機関、内部告発者の保護は、今日であっても有効に作動しなければならない。またこのようなことを等閑しないための医の倫理・専門職意識の徹底的な教育は、今日も、今後もさらに重視されねばならない。”(本書 訳者あとがきより)

私は以前、『臨床看護』のコラム欄<ほんのひととき>で毎月1冊ずつ本の紹介をしていました。そのなかで一番多く取り上げた本の著者が、小川道雄先生でした。外科系の病棟に勤務されている方はご存知だと思いますが、小川先生は熊本大学外科教授時代の2001年にNHKテレビ「にんげんドキュメント」という番組に出演されました。全国的に外科入局者数が激減していた中で、懇切で徹底した外科フレッシュマン教育を行うことで毎年多数の新人が外科に入るという謎解きを病棟に入り込んで取材した番組でした。
小川先生は大学を退官後も、社会人としての常識をわきまえた医療人を育成するためのテキストとしても利用できる『外科学臨床講義(I~V巻)』、『一般病棟における緩和ケアマニュアル』、『新 癌についての質問に答える』(へるす出版刊)などの外科以外の医師・看護師・薬剤師にもわかりやすい解説の教科書を編集されてこられました。 
さらに最新医療のみならず、以前から小川先生は外科医学史の翻訳をなさっています。一連の外科の進歩を中心とした医学史の翻訳を読むたびに、「今日の医学は明日の医学ではない」 (『外科学臨床講義』)という先生の言葉を私はつねに思い浮かべました。
今回、2013年11月にはライフワークとして翻訳に取り組んでいる『外科医の世紀』の著者であるユルゲン・トールヴァルト著の『外科医の悲劇 崩れゆく帝王の日々』が刊行されました。
著者のトールヴァルト(2015〜2006)さんはドイツ生まれで、ケルン大学で医学を学び、その後は雑誌編集者、ノンフィクションライターとして数多くの作品を書いていて、医学史に関する大著『外科医の世紀 近代外科のあけぼの』、『外科医の帝国 現代外科のいしずえ』(いずれも訳者は小川道雄先生、へるす出版刊)がすでに日本には紹介されています。
“麻酔のない時代、最近が発見されていない時代、消毒など思いもつかない時代、今からでは想像も及ばない約150年前の時代から現代の医療に行き着くまでの先駆者たちの血のにじむ努力と名もなき厖大は犠牲者たち…名高いハルステッド、ビルロート、ミクリッツ、ペアンの手術が史実に基づき生き生きと描かれ、読者をその場に誘っていく”(『近代外科のあけぼの』の紹介文より)
さらに『現代外科のいしずえ』では、全身麻酔法、防腐法、無菌法の発見を契機に、外科医による人体の未踏破地征服へむけた渾身の努力を迫力ある文章で描いていました。
今回の『外科医の悲劇 崩れゆく帝王の日々』では、前著とはかなり趣きがことなります。胸部外科に大きな航跡を残した外科医の晩年を描いています。
“ドイツ人医師のフェルディナント・ザウエルブルッフは20世紀前半の最も偉大な外科医の一人である。その名は世界中に轟いていた。最大の功績は、19世紀に麻酔法、消毒法、無菌法が確立したあとでも外科医がまったく手を出せなかった胸腔内臓器に対して、外科的治療を可能としたことである。胸部外科の祖であり、多くの食道、肺、心臓の手術をはじめて行った外科医であった。(訳者あとがきより)
そのフェルディナント・ザウエルブルッフが65歳を過ぎた頃から、加齢に伴う脳動脈硬化精神障害認知症を疑われるような精神面の崩壊がおき、71歳以後の手術を禁止すべき、文部省、大学、病院、地区衛生局、家族の対応を描き、彼の死までの出来事を再現したのが本書です。
医療関係者でも外科領域になじみの少ない方にはこの本に描かれた史実に大きな衝撃を受けるか、あるいは信じたくない、眼をつぶりたいと思うかもしれません。しかしながら1960年に原書がドイツ語で刊行されてから約50年たった今、この翻訳を読み終えて小川先生の一連の著書と翻訳を読んできた私としては、日々の医療に携わりながらその歴史に興味ある方にぜひお勧めしたいと思います。

炭素文明論 「元素の王者」が歴史を動かす

炭素文明論:「元素の王者」が歴史を動かす (新潮選書)

炭素文明論:「元素の王者」が歴史を動かす (新潮選書)

臨床看護が休刊となり、毎月の書評原稿の締切りがなくなりほっとしていました。これで好き勝手に本が読めると、お正月休みからさまざまな分野の本を買ってきては読み散らかしていました。
義務がなくなると勝手なもので、読みきらないうちに次に心がよせられて机の上に積読が多くなっています。
そろそろ読書日記を再開しなくてはと思っていてもいったん緩んだ気持ちは戻すのがたいへんですね。
今回、ご紹介するのは東京工業大学出身のサイエンスライター佐藤健太郎さんの『炭素文明論 「元素の王者」が歴史を動かす』です。
日頃診療でさまざまな薬品を扱っていながら、化学構造式までみることはまれですが、本書を読むとひさしぶりに学生時代の有機化学を思い出しました。
しかし本書は単なる「有機化学の本」ではありません。生命、食物、薬品の基礎的な構造を支えている炭素を中心にして、歴史的背景や人間と自然とのかかわりまで幅広く解説している点に大きな魅力があります。
1.人類の生命を支えた物質たち
2.文明社会を作った物質  デンプン
3.人類が落ちた「甘い罠」 砂糖
<筆者は分子構造と生理作用の関連について長く研究してきた専門家の端くれであるが、一体どういう分子が甘味を感じさせるのやら、いくら構造式を睨んでも見当すらつかない>
4.大航海時代を生んだ香り 芳香族化合物
5.世界を二分した「うま味」論争  グルタミン酸
<動物は重要な栄養源であるタンパク質を積極的に摂取するため、その存在を捉えるセンサーを発達させた。タンパク質のあるところには、必ずそれが分解されてできたグルタミン酸が存在している。このタンパク質の目印を摂取したときに快楽を感じるよう、人間の体は進化した>
6.世界を制した合法ドラック  ニコチン
7.歴史を興奮させて物質 フェイン
8.人間最大の友となった物質 エタノール
9.王朝を吹き飛ばした物質 ニトロ
10. 空気から生まれたパンと爆薬 アンモニア
などなどふだんの患者さんに説明してる内容に深みをあたえてくれるエピソードに富み、おもわずにやっとしたくなる良書と思います。

“炭素は最も小さな部類の元素だ。しかしこのために、炭素は短く緊密な結合を作ることができる。4本の結合の腕をフルに使い、単結合・二重結合・三重結合などと呼ばれる、多彩な連結方法を採ることもできる。
炭素は平凡であるからこそ、元素の絶対王者の地位に就くことを得たのだ。
今までに天然から発見された、あるは化学者たちが人工的に作り出した化合物は7000万以上に及ぶが、これのうち炭素を含むものはそのほぼ8割を占める。
地上を埋め尽くす生命は、この豊かな化合物群に立脚している。地表における炭素の存在比は、わずか0.08%に過ぎない。一方、人体を構成する元素のうち18%は炭素であり、水分を除いた体重の半分は炭素が占めているということになる。生命は自然界に存在するわずかな炭素をかき集めることで、ようやく成立しているといえる”(本書より)