ミラノ 霧の風景
- 作者: 須賀敦子
- 出版社/メーカー: 白水社
- 発売日: 1990/12
- メディア: 単行本
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懐かしさもあり、先日この文学館に行ってきました。須賀さんの出生、学生時代、留学時代、そして帰国後の翻訳家文学者としての航跡が、折々のエッセイの文章と写真、そして直筆の原稿や手紙が数多く展示されていました。
神戸夙川、東京南麻布、聖心女学院、慶應大学、フランス・パリ、イタリアのミラノ、ヴェネチア、フィレンチェなど昭和初期生まれの須賀さんの生涯をたどることができました。旅に行ったことのある街角の写真や、これから旅行したい街の紹介にもなるほど、地図や歴史、宗教とのかかわりが丁寧に展示されていました。
帰りには今まで呼んだことのなかったエッセイ集や、写真集を文学館の売店で買い求ました。外に出ると、秋の日に照らし出された横浜港の青い海と、ベイブリッジの眺めが目に飛び込んできました。まるで長い船旅からもどってきたような心の充足感を覚えました。
2008年に書いた『ミラノ 霧の風景』の書評を再録します。<臨床看護2008年11月号 ほんのひとときに掲載>
“「閉じこもった悲しみの日々にわたしが
自分を映してみる一本の道がある」 (イタリアの詩人、サバ)
なぜ自分はこんなにながいあいだ、サバにこだわりつづけているのか。20年前の6月の夜、息をひきとった夫の記憶を、彼といっしょに読んだこの詩人にいまもまだ重ねようとしているのか”(『トリエステの道』)より)
1953年、須賀さんが24歳のときにイタリア、ミラノに留学してから13年間在住したときの日々を帰国後20年たって、60歳になってから出版されたエッセイ集です。
「イタリアで暮らした13年間の遠い日々を追想し、人、町、文学とのふれあいを綴るエッセイ」と紹介されている、この本を読んで私が強くひかれた魅力は、須賀さんの生来率直で聡明、好奇心いっぱいの女性の、素晴らしかった人生が見えてくるような美しい詩のような文章です。そしてミラノを中心にして、市井のイタリア人の生活、人々との交わりの描写が胸を打ちます。
トスカーナの農村での思い出を綴った章をよむと、美味しいイタリア料理の香りがしてきそうです。
“カルディーネの緑に埋もれた白壁の家が目に浮かぶ。枝の剪定から実を採り入れて搾るところまで手塩にかけて作ったオリーヴ油、ジーナが台所で捏ねて村の共同竈で焼いた肌理のあらい塩気のないパン、裏の畑でとってきたばかりの匂い立つバジリコの枝やトマト、軒につるして乾かしたニンニク” (本書より)
私は、5年前にジェノワでの学会発表の折に、はじめてイタリアを旅しました。ローマ、フィレンチェ、そしてトスカーナ地方を列車で旅したときの、車窓からの眺めを思い出しながら、本書を毎晩枕元において、ゆっくり味わいました。
“ジェノワからローマへ行く電車の車窓から眺めたピサの斜塔、聖なる野(カンポ・サント)と呼ばれる墓地の塀の白い連なりに目を瞠り、さらに、この群がる白の饗宴を、おなじ白さの塀で仕切ったうえで、緑の草地に出現させた空間設計の才能に感動した”(本書より)
そしてこの本の底辺には、須賀さんがミラノ留学中に出会ったイタリア人のご主人、ベッピーノとの結婚、そして数年後の死別の深い哀しみが流れています。
その哀しみを表現するときに、イタリアの辺境トリエステに生きた20世紀屈指の詩人サバを随所に引用しています。
“詩人サバは、毎日の生活のなかでは孤独や不眠や疎外感に苦しみながら、詩ではいつもきちんとした職人の態度を失わない厳しい詩への姿勢が、終始彼の抒情を裏付けている。彼は詩人の独善を神秘性などと詐称して読者に押しつけたりしなかった”(本書より)
サバの初めての邦訳詩集を手がけた須賀さんは、全詩集『カンツォニエーレ』をつねに傍らに置いていたそうです。
いつか読んだ書評に、「須賀さんの随筆を読むと必ずファンになる」、と書かれていたことを思い出しました。もっと早く、読んでおけばよかったと思う反面、いま私自身が大きな哀しみを癒しているときにこの本に出合えてよかったとも思っています。
“ 死んでしまったものの、失われた痛みの、
ひそかなふれあいの、言葉にならぬ
ため息の、
灰。”
(ウンベルト・サバ 《灰》 :本書あとがきより)