外科医の悲劇 崩れゆく帝王の日々

崩れゆく帝王の日々―外科医の悲劇

崩れゆく帝王の日々―外科医の悲劇

小児看護 2014年4月号 書評欄に掲載

“連帯意識はどの社会、職業にもあり得る。医師の職業上の連帯が問題とされるのは、それが生命に直接関係しているからであろう。したがって外科医ザウエルブルッフのときに対応すべきだった方策、すなわち通報制度、それを評価すべき独立した審査機関、内部告発者の保護は、今日であっても有効に作動しなければならない。またこのようなことを等閑しないための医の倫理・専門職意識の徹底的な教育は、今日も、今後もさらに重視されねばならない。”(本書 訳者あとがきより)

私は以前、『臨床看護』のコラム欄<ほんのひととき>で毎月1冊ずつ本の紹介をしていました。そのなかで一番多く取り上げた本の著者が、小川道雄先生でした。外科系の病棟に勤務されている方はご存知だと思いますが、小川先生は熊本大学外科教授時代の2001年にNHKテレビ「にんげんドキュメント」という番組に出演されました。全国的に外科入局者数が激減していた中で、懇切で徹底した外科フレッシュマン教育を行うことで毎年多数の新人が外科に入るという謎解きを病棟に入り込んで取材した番組でした。
小川先生は大学を退官後も、社会人としての常識をわきまえた医療人を育成するためのテキストとしても利用できる『外科学臨床講義(I~V巻)』、『一般病棟における緩和ケアマニュアル』、『新 癌についての質問に答える』(へるす出版刊)などの外科以外の医師・看護師・薬剤師にもわかりやすい解説の教科書を編集されてこられました。 
さらに最新医療のみならず、以前から小川先生は外科医学史の翻訳をなさっています。一連の外科の進歩を中心とした医学史の翻訳を読むたびに、「今日の医学は明日の医学ではない」 (『外科学臨床講義』)という先生の言葉を私はつねに思い浮かべました。
今回、2013年11月にはライフワークとして翻訳に取り組んでいる『外科医の世紀』の著者であるユルゲン・トールヴァルト著の『外科医の悲劇 崩れゆく帝王の日々』が刊行されました。
著者のトールヴァルト(2015〜2006)さんはドイツ生まれで、ケルン大学で医学を学び、その後は雑誌編集者、ノンフィクションライターとして数多くの作品を書いていて、医学史に関する大著『外科医の世紀 近代外科のあけぼの』、『外科医の帝国 現代外科のいしずえ』(いずれも訳者は小川道雄先生、へるす出版刊)がすでに日本には紹介されています。
“麻酔のない時代、最近が発見されていない時代、消毒など思いもつかない時代、今からでは想像も及ばない約150年前の時代から現代の医療に行き着くまでの先駆者たちの血のにじむ努力と名もなき厖大は犠牲者たち…名高いハルステッド、ビルロート、ミクリッツ、ペアンの手術が史実に基づき生き生きと描かれ、読者をその場に誘っていく”(『近代外科のあけぼの』の紹介文より)
さらに『現代外科のいしずえ』では、全身麻酔法、防腐法、無菌法の発見を契機に、外科医による人体の未踏破地征服へむけた渾身の努力を迫力ある文章で描いていました。
今回の『外科医の悲劇 崩れゆく帝王の日々』では、前著とはかなり趣きがことなります。胸部外科に大きな航跡を残した外科医の晩年を描いています。
“ドイツ人医師のフェルディナント・ザウエルブルッフは20世紀前半の最も偉大な外科医の一人である。その名は世界中に轟いていた。最大の功績は、19世紀に麻酔法、消毒法、無菌法が確立したあとでも外科医がまったく手を出せなかった胸腔内臓器に対して、外科的治療を可能としたことである。胸部外科の祖であり、多くの食道、肺、心臓の手術をはじめて行った外科医であった。(訳者あとがきより)
そのフェルディナント・ザウエルブルッフが65歳を過ぎた頃から、加齢に伴う脳動脈硬化精神障害認知症を疑われるような精神面の崩壊がおき、71歳以後の手術を禁止すべき、文部省、大学、病院、地区衛生局、家族の対応を描き、彼の死までの出来事を再現したのが本書です。
医療関係者でも外科領域になじみの少ない方にはこの本に描かれた史実に大きな衝撃を受けるか、あるいは信じたくない、眼をつぶりたいと思うかもしれません。しかしながら1960年に原書がドイツ語で刊行されてから約50年たった今、この翻訳を読み終えて小川先生の一連の著書と翻訳を読んできた私としては、日々の医療に携わりながらその歴史に興味ある方にぜひお勧めしたいと思います。