風立ちぬ

風立ちぬ・美しい村 (新潮文庫)

風立ちぬ・美しい村 (新潮文庫)

臨床看護2013年12月号 ほんのひととき 掲載
風立ちぬ、いざ生きめやも。(ヴァレリーの詩「海辺の墓地」の一句)
という詩句が、それきりずっと忘れていたのに、又ひょっくりと私達に蘇ってきたほどの、云わば人生に先立った、人生そのものよりかもっと生き生きと、もっと切ないまでに愉しい日々であった”(本書より)

長いことおつきあいしていただいた「ほんのひととき」も今回をもって最終回となりました。わたしの限られた読書歴のなかから『臨牀看護』の読者の皆さんに臨床現場でお役に立つような本の紹介をと心がけてきました。しかし医療関係の本だけでは間に合わなくなり、高校時代の教育からうけた影響もあって、今は絶版になっているような社会科学関係やら、地球・宇宙物理の難解な本、さらには私の旅行や美術館めぐりに関わる本まで取り上げてしまい、苦笑された方も多かったかと反省しています。
今回の本は、この夏公開された宮崎駿監督の最後になる長編映画風立ちぬ」の原作とされる堀辰雄著の『風立ちぬ』です。映画をご覧になった方も、またNHK特集で放映されたスタジオジブリでの製作過程の苦労を描いたドキュメンタリー番組を見た方も多いと思います。私にとっては、この映画が美しい文章にみちた本書を読むきっかけになりました。
“それらの夏の日々、一面に薄の生い茂った草原の中で、お前が立ったまま熱心に絵を描いていると、私はいつもその傍らの一本の白樺の木陰に身を横たえていたものだった。そうして夕方になって、お前が仕事をすませて私のそばに来ると、それからしばらく私たちは肩に手をかけ合ったまま、遥か彼方の、縁だけ茜色を帯びた入道雲のむくむくした塊に覆われている地平線の方を眺めやっていたものだった。ようやく暮れようとしかけているその地平線から、反対に何物かが生まれて来つつあるかのように・・・”(本書より)
大きなスクリーンでこの映画を観ると、綿密に描かれた映像からは原作から喚起される光景以上の感動がありました。しかしストーリーは戦闘機零戦の開発者・堀越二郎さんが学生時代だった大正から昭和、終戦までをリアルに描いた映画のようでいて、堀越さんとはまったく無関係の堀辰雄さんの小説と強引に結び付けた脚本に少し違和感をもちました。宮崎駿監督独特の「妄想」だという映画批評もネットで目にしました。
それでもこの映画でとくに興味深かったのは、八ヶ岳山麓にある信州富士見高原の結核療養所サナトリウムの描写でした。抗結核剤のなかった昭和初期の結核療養患者の実際を細部にわたって映像化しているのを観て、以前の宮崎映画「となりのトトロ」の中では昭和30年代の結核療養所を描いていたことを思い出しました。
この欄の初回で取り上げた『闘』(幸田文著)も結核療養に関わった本でした。昭和40年に発表された作品で、武蔵野の自然に囲まれた結核療養所を舞台に四季の季節の流れのなかでさまざまな患者と、医師・看護師の姿を淡々と細やかな文体で綴った小説でした。
“ほかのことでは相当に忍耐力のあるものが、なぜ看病には堪え性をなくすのか。患者も医者も看護婦もひたすら願うのは、退院の日まで変わることのない暖かい家族の看護だが、そういうことはほんとに少ない。看病には、人を落ち着かせなくする毒がある”(『闘』より)
学生時代から繰り返して呼んできた幸田さんの本には、家族の看病で何度も心が折れそうなときに私は救われてきました。いわば心の避難袋のなかにいつも携えておきたい大事な本が幸田さんでした。さらに今回、本書『風立ちぬ』を美しい映像とともにこの避難袋のなかに加えたいと思います。

ではちょっとあらたまって、最後に一言御礼。
“文学を読むことで得られる大事なことは、それによって培われる想像力です。何をまだしゃべっていないかを気がつく能力、それが想像力。”
長いこと連載させていただいた、<ほんのひととき>がみなさんの臨床現場での想像力に少しでもお役に立てたとすれば、私の望外の喜びです。
なお今後ともこのブログは毎月書いていきますのでよろしく。