医師たちの証言 福島第一原子力発電所事故の医療対応記録

医師たちの証言―福島第一原子力発電所事故の医療対応記録

医師たちの証言―福島第一原子力発電所事故の医療対応記録

臨床看護2013年9月号 ほんのひととき 掲載

福島第一原発事故直後に被ばく医療の支援を目的として現地に向かったのは、一握りの医師、看護師たちであった。医師たちの活動記録を残さねばならない、生の証言を残しておかねばならない、けっして過ぎ去ったこととしてはならない、それがあのとき福島の現実を目の当たりにした私の責任である…。この記録は、医師・谷川攻一が見た福島での現実、現地で活動した医師たちが見た福島第一原発事故の医療対応の記録である”(本書より)

東日本大震災から2年半がたちました。しかし、メディアで報道される復興の状況からは被災された地域の方々にはまだまだ長い道のりが待っているようです。つい先日も、NHK報道特集で、福島第一原子力発電所事故による避難区域見直しに伴って、生活再建に苦悩する浪江町双葉町の避難住民の方々を描いた番組をみて、地震津波さらに原子力災害の傷跡の深さを改めて感じました。
昨年2012年6月の本欄で、『いのちを守る 東日本大震災南三陸町における医療の記録』(へるす出版刊)を紹介しました。編集の西澤先生は南三陸町にある公立志津川病院勤務で、震災後の同診療所で医療総括本部を取り仕切った内科医でした。震災直後の医療現場の記録を医師・看護師からだけでなく、保健師・薬剤師・救急救命士・医療事務、全国からかけつけた支援グループ、さらにはイスラエルからの医療支援チームの総括(英文、翻訳つき)にいたるまで短期間に集めて、記憶が薄れないうちにしかできない第1級資料としての本書を編集されていました。
そして今年7月には、本書『医師たちの証言 福島第一原子力発電所事故の医療対応記録』が刊行されました。編者の一人である谷川先生は、広島大学救急医学講座教授で、大震災直後から福島県での原発事故被ばく対応に駆けつけた救急・災害・被ばく医療の専門家です。
大震災後から2週間にわたって、現地で被ばくからの避難住民に立ち会った詳細な証言記録から構成される本書は、現場の写真も数多く掲載されている貴重な記録となっています。
“これまで原子力災害時の医療対応は十分に整備されてこなかった。福島県でも県防災マニュアルでの取り決めがなかったため、福島医大の医師らは自らの経験と判断に基づいて活動した。しかしながら、福島の経験から見えてきたことは、自然災害に複合した未曾有の原子力災害とはいえ、これまで私たちが培った災害医療の原則が適応できるという事実であった。そして、現地に赴いた医師たちは災害医療を理解した救急医であり、その経験をもとに臨機応変に対応した。ただ、「個」による活動には限界があった”(本書より)
本書を読みながら、記録の持つ大事さについて以前この欄で紹介した『三陸海岸津波』(吉村昭著)を改めて思い出しました。
“徹頭徹尾「記録する」ことに徹している。情緒的な解釈もしない。圧倒的な事実の積み重ねの背後から、それこそ津波のように立ち上がってくるのは、読む側にさまざまなことを考えさせ、想像させる喚起力である”(『三陸海岸津波』のあとがきより)
本書を読んだ後にまさに喚起されて、福島県原子力発電所が設置された経緯と歴史、さらに過去の事故対応について知りたくなり、近くの本屋の震災復興本コーナーでみつけた『フクシマ論 原子力ムラはなぜ生まれたのか』(開沼博著 青土社刊)を読みました。オフサイトセンターが設置されていた大熊町の歴史、Jヴィレッジ施設誘致の経緯など、日本における原子力開発の広い視野からの歴史を読むと、谷川先生らが現場で感じられた行政機構、政治の対応のもどかしさの遠因が少しは理解できたように感じました。

“私たち医療者は常日頃からさまざまな形で放射線に触れているにもかかわらず、残念ながら、放射線について疎く、また放射線事故災害で問題となる放射線は別のものとしてとらえる傾向にある。その背景には、医学教育における放射線に関連する教育が正当な重みを持って位置づけられていないこと、そして被ばく医療との連動も図られていないことがあげられよう”(本書より)