草枕

草枕 (岩波文庫)

草枕 (岩波文庫)

臨床看護2013年9月号 ほんのひととき 掲載
“山路を登りながら、かう考へた。
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。
どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る”(草枕より)

今回は美術館で教えてもらった新しい漱石の読み方について紹介します。
今年6月の梅雨の合間の爽やかな日に、東京・上野にある東京藝術大学美術館で開催されていた「夏目漱石の美術世界」展を見に行ってきました。
「文豪、夏目漱石と美術との関わりを探る研究成果が相次いでいる。東西の美術の流れを明治の文明開化の時代にあって敏感に映した漱石文学の魅力が、改めて解き明かされようとしている」と新聞の文芸欄に大きく紹介されていた記事でこの企画展を知り、初めて東京芸大のキャンパス内に足を踏み入れました。
夏目漱石は50年の生涯にわたって古今東西の美術に深く親しんだ。美術にかかわるその教養の深さには、いまの私たちの想像を超えるものがある。漱石が親しんだその美術世界の幾側面かを、漱石の脳内に収蔵されている古今東西の美術作品から一部を取り出して現実の空間に据えて新知見を加えて示してみようというのが、このたびの展覧会である”(展覧会の図録より)
以前にこの欄に書きましたが、私の漱石好きは高校1年生の現代国語の授業で取り上げらえた『漱石とその時代』(江藤淳著)を読んでから始まりました。明治時代の大きな文化変動期にあって、東西の文化に身をさらしながら、日本の伝統文化と西欧文化との違いに深く苦悩する漱石を描き出した力作でした。
いつかはゆっくりと漱石の全集を読みたいと思う気持ちを、私は理系コースにいたため高校時代はほどほどに封印していました。医学部に入ってからはちょうど当時岩波書店から新たに『漱石全集』が刊行され、大学生協から毎月予約購買することでその気持ちを開放した思い出があります。
学生時代は、明治の青春小説ともいわれた『三四郎』がもっとも好きでした。その後も夏休みや正月休みの暇なときに何回か再読しては、通俗的な恋愛物として読めるだけでなく、近代化、西洋化を続けてきた当時の日本社会に対する文明批判としても読めることを知るようになりました。
私は中年になって九州熊本を旅してからは、難解ですが『草枕』を好きになりました。『草枕』(明治39年発表)は、「主人公である画工が那古井という温泉を訪ねる旅中に体験するさまざまな出来事を通じて、自らが理想とする芸術のあり方について自問自答する内容で、古今東西の画家たちがさまざまに引用されながら展開する<絵画小説>」(芳賀徹氏)と言われています。
今回の展覧会では、この小説に描かれた伊藤若冲与謝蕪村池大雅の実物を初めて目にすることが出来ました。
企画者の一人である芳賀徹氏は、以前にこの欄で『詩歌の森』(中公新書)の著者として紹介しました。
“一篇の詩が、苦境から脱出するきっかけになったり、人情の奥行きをかいま見せたりすることは、誰しも経験するだろう。そんな、心に働きかけてくる詩を知れば知るほど、人生は豊かになる”(詩歌の森より)という文のなかの「詩」を「絵画」に置き換えてみると、漱石文学の魅力がさらに拡がるようです。
この展覧会の最後には漱石自筆の絵画作品も展示されていました。晩年近くなってから胃出血を患い、身と心をすり減らしながらも文学創作に励んだ漱石の心境を吐露するような水彩画、南画には痛々しさまでもが伝わってきました。

“私は生涯に一枚でいいから人が見て難有い心持のする絵を描いてみたい山水でも動物でも花鳥でも構はない只崇高で難有い気持ちのする奴をかいて死にたいと思ひます文展に出る日本画のやうなものはかけてもかきたくはありません…”(大正2年12月8日 画家・津田青楓宛の漱石の手紙より)