大病院

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臨床看護2013年8月号 ほんのひととき 掲載
“21世紀初頭のいま、実践医学はすっかり産業化され、人間味を欠くことが多くなったようだ。情報と選択肢にあふれているが、常識ややさしさには事欠く技術至上手技の世界にあって、病院の役割とはなんだろうか。人びとが受ける治療の種類を左右する、金銭的、倫理的、科学的、社会的、個人的、文化的背景とはなんだろう。そもそも治療とはなんだろう”(プロローグより)

私は1985年から2年間、ニューヨーク医科大学に留学しました。実際には患者さんを診察、手術することはできなかったのですが、泌尿器科学教室のリサーチフェローとして、毎週のカンファレンス、オペ見学、若いレジデントの研究指導などを通じて臨床現場に接する機会に恵まれました。教室主任は、イタリア系アメリカ人、准教授はバングラディッシュレバノン、関連病院の部長はドイツ、韓国、香港、ベトナムからの移民のドクター、さらにレジデントは1.5世にあたるアルメニア人、イタリア人、中国人、プエルトリコ人など多彩でまさに人種のるつぼでした。
大学のキャンパスはニューヨーク市郊外の緑豊かなウェストチェスター郡にありました。関連病院はニューヨーク市ブロンクス、クイーンズ、さらにマンハッタンでも治安が悪かったハーレム地区にある公立病院など街の喧騒がそのまま伝わってくるところにあり、持ち回りで週1回行われる早朝カンファレンスにこわごわ出席しました。今のニューヨークはかなり安全になったのですが、当時は地下鉄に乗ることもままならない状況でした。
今でも鮮明に思い出すのは、留学して初めてブロンクスヤンキーススタジアム近くにある病院でのカンファレンスに出席したときのことでした。外傷患者の腹部レントゲンの腎臓付近に小指頭大の真っ白なカゲが写っていました。主任教授がにやにやしながら、「カール、何だと思う?」と私に質問してきました。「レントゲン撮影の際にフィルムについたキズかと思いますが…?」とたどたどしく答えると、教授は「銃弾のXPは見たことないのか?日本では外傷は日本刀だけか?!」とジョークで切り返えされ、出席者に大爆笑されました。
さて今回、紹介する『大病院』はニューヨーク市ブルックリンにあるマイモニデス医療センターを舞台としたノンフィクションで原書は2008年に刊行されました。翻訳書が今年3月に出たので、留学時代の経験を思い起こせる期待をもって買い求めました。
“とにかく騒々しくて、優に70人を超える登場人物が出たり入ったりする。ブルックリン・ボローバーク地区という正統派ユダヤ人が多く圧倒的な影響力と及ぼすが、新しい移民も多い地域の大病院。67の言語が院内で話され、毎年12万人の外来患者、ERは8万人超の救急患者を受け入れる忙しさだ。医師だけでなく、病院幹部、看護師、研修医、助手、清掃スタッフ、患者とその家族、地元政治家や有力者、診療所の医師、ユダヤ教のラビ、通訳、ボランティアまでさまざまな人びとの声をもとに徐々にその大病院の姿を明らかにする(訳者あとがきより)”
著者のサラモンさんはニューヨークタイムズウォール・ストリートジャーナルの記者をつとめ、臨床心理士の眼をもつノンフィクション作家で、なんと1年間も病院の中を自由に取材して回る許可を得て、患者のプライバシーは守りながらもスタッフのありのままの姿、会話、心理的葛藤を描き出しています。
とにかく面白く、私は日本の今の医療現場との類似点、相違点を痛切に感じながら上下二段組みで400ページを越す大書を一気に読みきりました。もし日本にもこれほどまで赤裸々な取材を許す病院がでてくれとすれば、それはきっと日本の医療が進歩(?)した証しになるのでしょうね。

“病院は映画ビジネスと似ているところがたくさんあると思ったよ。この世界の人たちも、才能や企業家精神、野心、自己満足をもち、ビジネスとクリエイティブのバランスに腐心している。大きな違いは、病院では二度めのテイクはないということだ。映画は絵空事だ。でも、病院は現実なんだ”(本書より)