ジヴェルニーの食卓

ジヴェルニーの食卓

ジヴェルニーの食卓

臨床看護2013年7月号 ほんのひととき 掲載
“いままでにヴァンスのロザリオ礼拝堂へいらしたことはある?あら、ないんですのね。だったら、人生の「楽しみの箱」がひとつ、まだ開けられずにのこっているようなものよ。マティスの生涯を通じて、もっとも重要で、かつ集大成となる仕事を認められているヴァンスの礼拝堂は、どんなに南仏の光を愛してやまなかったかを、足を一歩踏み入れるだけで教えてくれます。そう、そして、いかなる人の人生にも光があふれる瞬間があるのだ、とも”(本書 「うつくしい墓」より)
昨年、この欄で紹介した『楽園のカンヴァス』の著者、原田マハさんの新刊書が4月に出ました。モネの『睡蓮』が装丁に使われた美しい本で、新刊コーナーですぐに目に付きました。
「描いた作品はどこかで見たことがあるけど、その生涯についてはよく知らないそんな印象派の画家(マティスピカソドガセザンヌゴッホ、モネ)とその周りの人々の物語。新しい美を求め、時代を切り拓いた巨匠たちの人生が色鮮やかに蘇る。一気に読むのがもったいない作品、読む美術館」と帯に紹介されていました。
ちょうどこの本に出会う前に、箱根の成川美術館では、「画家・平松礼二、世界への挑戦」という企画展がありました。フランス・ジヴェルニーの印象派美術館で、日本人画家として初めての個展が6月に開催される予定だそうで、それを祝して開催された展示でした。モネの『睡蓮』に啓発されてジャポニズムの本質を掴もうと、長年苦労されてきた平松さんの数多くの作品をゆっくりと鑑賞できました。私がもっとも足繁く通っている芦ノ湖湖畔の日本画を専門とする美術館で、「印象派の絵」を見ることは新鮮な驚きでした。
“モネは30歳代に日本の浮世絵に出会い、すっかり心を奪われた。それは、その後のモネの絵画に重要な影響力を及ぼす発見だった。風景や場面の一部をばっさりと大胆に切り取った構図、単純明快なのに奥行きを感じさせる色。みずみずしい鮮やかさはいま刷り上ったばかりのようで、インクのにおいすら漂う気がした。あれからずっと、日本はモネの憧れの国になった。日本的な情緒のあふれる、睡蓮の浮かぶ池を抱く庭を作るのが長いあいだの夢だった”(本書より)とあるように、印象派画家は江戸時代の浮世絵の影響を強く受けていました。それが平松さんという現代を生きる日本画家によって逆輸入されて、その絵がまたフランスに渡るという、いわば文化交流の現場に立ち会っている感動を成川美術館で覚えました。そして直後に、本書『ジヴェルニーの食卓』を読んだのは私にとっては奇遇でした。
「本作は史実に基づいたフィクションです」と巻末に書かれていますが、画家たちの家を支えた、家政婦、画材屋、パトロン、モデル、再婚した妻の娘などの視点を通して描かれたこれらの小説には、その時代を生きた画家の真実の姿が目の当たりに浮かび上がってくるようです。とくに私が原田さんの筆力に驚いたのは、まさに「読む美術館」という書評通りに、実際の絵を見ているかのような精緻な表現力です。
“ひとつの作品は、真昼の池。鏡のように青く澄み渡り、さかさまの白い雲を映して静まり返る水面。ところどころにぽつぽつと浮かぶ睡蓮は、空のただなかに花開き、かすかに呼吸しているかのようだ。もうひとつは、日本のしだれ柳が並ぶ池のほとり。ごくささやかな風が、長く伸びた柳の枝葉を揺らして、いましも通り過ぎていくようだ。睡蓮の花々も、微風を受けようと可憐な白い顔を上げている。湿気を帯びたやわらかな空気と水の匂い。漣の上でぴちぴちとはねる光。遠く草原を渡って、たったいまこの池にたどりついた六月の風”(本書より)
余談ですが、私は今年のゴールデンウィークの連休にニース、パリへ旅行しました。ニースではマティス美術館、ヴァンスのロザリオ礼拝堂、パリではオルセー美術館を見て回りましたが、原田さんの本のおかげで印象派画家の足跡をよりリアルに辿ることができました。