天地明察

天地明察

天地明察

臨床看護2013年1月号 ほんのひととき 掲載
“暦は約束だった。泰平の世における無言の誓いと言ってよかった。
「明日も生きている」
「明日もこの世はある」
天地において為政者が、人と人とが、暗黙のうちに交わすそうした約束が暦なのだ。この国の人々が暦好きなのは、暦が好きでいられる自分に何よりも安心するからかもしれない”(本書より)

今年の5月21日に日本各地で金環日食が見られました。私も朝の通勤時間をやりくりして、見事な天体ショーに感激しました。次に日本で見られる金環日食は北海道を中心にして2030年と報道されていました。あらためて天文学の精緻さが感じましたし、その時期まで私も生きていられればとつい思ってしまう歳になりました。
さらに夏、8月14日には金星の前を月が横切って金星を隠す現象である、金星食が全国でみられました。まれな天体現象が続いた1年も終わりに近づき、来年の暦、カレンダーを用意する時季になりました。暦好きは日本に限らないと思いますが、とくに四季の移ろいに敏感なこの国の民族性が、日常生活でも「暦の上では」という表現を多く使っていることにもつながっているようです。
さて今回、ご紹介する『天地明察』はすでに2年前にベストセラーになり、そして今年の秋には映画化もされて文庫本も出版されたのでお読みになった方も多いと思います。私は秋になって映画化のポスターを見て初めてこの本を知りました。本来ならば、金環日食金星食の前に読んでおきたかったと思いながら500頁近い大書を一気に読み切りました。
江戸時代の5代将軍・綱吉の頃に改暦に携わった渋川春海(はるみ)の生涯を描いた、史実に基づいた時代小説です。今まで日本の天文学、それを支える算術・算学、和算の歴史書を読んだことがなかったので、すべてが新鮮でした。本書の時代背景を理解して読むにあっては、江戸時代の暦の原則についてのネット情報が役立ちました。
“江戸時代の暦は月を中心とし、1年を12ケ月か13ケ月とした、太陰太陽暦でした。この暦では、新月の日が一日(朔日)にあたります。そこで、日食は必ず月初めの一日(朔日)に起こらなければならず、それに失敗すると時の幕府の権威がなくなってしまいます。世の中が戦乱の世から落ち着くと、暦に関心がもたれるようになりました。当時、平安時代から使用されていた宣明暦による食の予報ははずれることが多かったようです。当時盛んだった和算の視点から暦の検討が行われるようになりました。1673年、渋川春海は授時暦で改暦を行うことを上奏しました・・”(富山市科学博物館ホームページより)
私は高校生時代から地球物理が好きで、いままでも本欄で宇宙論、地球・惑星の歴史,地球生命の進化と宇宙とのかかわりというジャンルの啓蒙書を何冊か紹介してきました。本書を読みながら、今回の春海とほぼ同時代を生きた物理学者のニュートンを描いた『ニュートンの海』(ジェイムズ・グリック著 NHK出版)の一節をまず思い浮かべました。
“「私という人間が世間の目にどう映っているかは知らないが,自分では海辺で遊ぶ子どものようなものだとしか思えない」と,ニュートンは死ぬ前にいっている。「ときに普通よりなめらかな石ころや,きれいな貝殻を見つけたりして,それに気をとられているあいだにも,眼前には真理の大海が,発見されぬまま広がっているのだ」”(『ニュートンの海』より)
さらに江戸時代の数学者、和算学者の関孝和がこの小説のなかで上手に取り上げられています。ある書評には“関孝和ニュートンライプニッツに先駆けて微積分を見つけたとも称される数学の天才。本書は改暦への苦難を縦糸に、そして関に体現される数学への憧憬を横軸に織られた、一大算術ドラマなのである”と書かれていました。
今まで私は自然科学史というと西欧ばかりに目を向けていたのですが、冲方さんの意欲がみなぎっている本書を読み終えて、日本のとくに江戸時代の科学史、さらには医学史の本にも目を配りたいと思いました。