光線

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臨床看護2012年10月号 ほんのひととき 掲載
“私のガンが見つかったのは、3.11の明くる日でした。もう日本中がどんどん放射能に震えあがっていった頃です。大きな鬼が暴れまくっているときに、日本中がその鬼を憎んで罵って石投げてるときに、車一台買えるくらいのお金を持って、その鬼の毒を貰いに行ったようで、何とも言えない気分だったの”(本書 「原子海岸」より)

私が専門としている泌尿器科では、前立腺がんの患者さんが急増しています。ご存知のように、前立腺がん特異抗原(PSA)による早期発見が可能になったこと、食生活の欧米化、そしてなによりも60歳以上の男性人口数の増加がその背景にあります。
以前は前立腺摘出手術、内分泌療法がメインだったのですが、放射線治療の進歩、そしてがんの自然史にあわせた待機療法(active surveillance)など様々な治療法が進歩してきました。それに伴って、とくに健康で比較的若い50〜60歳代の患者さんが早期発見されたときには、治療の選択には患者さん自身もそしてご家族も苦労されています。セカンドオピニオンをもとめて数箇所の専門医を受診されたり、インターネットを調べ、さらには友人、知人、ツイッターなどのSNSの口コミ、民間療法などなどの情報に触れて、かえって困っている方も多くなりました。
私のクリニックでも、PSAで早期に前立腺がんを発見して、治療について紹介した先の病院を受診して説明を聞いた後でも、さらに不安をかかえて繰り返し通院される患者さんもいらっしゃいます。
とくにここ数年は手術ではロボットサージェリー、放射線では重粒子線や陽子線治療などの「高度先端治療法」を求めて、全国の医療施設の資料を持って質問に来られる患者さんもおられます。
私自身は幸いまだPSAは正常範囲内なのですが、高校や大学の同級生がそろそろ健診でPSA高値を指摘され、そのうち数名は早期がんがみつかる年代になってきました。
先日も私の趣味であるテニス仲間で、治療後もすぐに今までとおりにテニスが続けられることを最優先したいという率直な希望をもった友人には、放射線治療のひとつである小線源治療を薦めました。そして治療後3週間もたたないときに、いつものようにコートでプレーしている姿を見ました。ふだん診察室で診る患者さんの術後回復の元気さや、学会でのQOLスコアの改善の速さを示すデータ以上に正直驚きましたし、改めてがん治療法の進歩を実感しました。
さて今回、紹介する村田喜代子さんの短編小説集『光線』は、村田自身が2011年に子宮体ガンに罹患して、九州南端の町で放射線治療をうけたことをもとに書かれた新刊書です。村田さんの本は、この欄で『蕨野行』(2004年4月号)、『あなたと共に逝きましょう』(2009年5月号)をご紹介しました。『あなたと…』は、九州在住の二人暮らしの夫婦の、「夫の胸部大動脈瘤の闘病記」が妻の立場から描かれていました。
今回の『光線』は妻の子宮体ガンの放射線治療の闘病記が夫の立場から描かれています。放射線センターで昨年3.11直後に治療をうける表題作の『光線』、治療が著効したあと夫婦で静かに海岸を散歩する『原子海岸』、など放射線治療をうけた患者さんの気持ちが赤裸々に綴られています。
“自分の妻が乳ガンや子宮ガンに罹ったら、男はどういう気持ちになるだろうかと秋山は思う。病気の軽重ではない。臓器の部位だ。妻の乳房や子宮は結婚以来長い年月をかけて付き合ってきたもので、肺や胃や腸などとはまた違う。妻が病院で検査を受けるのも無惨な思いがする”(本書 光線より)
いままで知らなかった人の心の機微、そして世界,時代,歴史にひたることのできる作品と作家に出会えることは、いつまでも心をゆさぶり続ける,減ることのない復元力をもっていると、村田さんの小説を読み終えるたびに感じています。
“あそこから放出する見えない光線が私という存在を射抜く”(本書「光線」より)