キノコの教え

キノコの教え (岩波新書)

キノコの教え (岩波新書)

臨床看護2012年8月号 ほんのひととき 掲載
“現在のように自然破壊が進み、環境汚染が広がり、気候変動が激しい時代になると、自然界の仕組みを正しくとらえ、その大きな変化に誤りなく対応する必要が生じてくる。生物界のなかで重要な役割を果たしている菌類についても、よく知ってもらう必要があるので、日ごろ気にしていることを、キノコに成り代わって書いてみることにした”(本書より)

私もキノコが好物です。椎茸、舞茸、エノキ茸、なめこ、エリンギなど炒めても焼いてもよし、鍋に入れてもよし、酒のつまみにもあいます。高価なマツタケ、トリュフよりも、いつもスーパー・八百屋の店頭におかれている日常的なキノコを味わうたびに、日本の食文化の豊かさを感じます。
本書はそのキノコ、菌類、菌根学を長年研究してきた、京都大学出身の農学博士である小川眞先生の本です。書名が『教え』というのもユニークで、本屋の新書新刊コーナーで目を引き、立ち読みしたらその根深い世界に引き込まれてしまいました。
“スーパーでは、野菜の横にキノコが並んでいる。そのせいもあるのか、いまだに植物に近いと思っている人が多い。しかし、その起源も形も、性質も、働きも、すべて植物とはまったく異なっている。長い間、「私は植物ではない」とキノコはつぶやき続けてきたが、なんと2000年以上もの間振り向いてもらえなかったのである”(本書はしがきより)
私は高校時代,医学部受験のときに化学と物理をとったので生物の教科書はまともに読んだことがありませんでした。さらにちょうどDNAの二重らせんモデルが啓蒙され始めたころで,大学での教養課程での生物では分子生物学がメインで,植物学・菌学に接することはなく、小川先生の専門である「菌根学」はこの本を読むまでほとんど知りませんでした。ちなみに菌根とは植物の根にキノコがついて共生しているもの、あるは状態だそうです。
“「黴菌(ばいきん)」という言葉の響きが悪かったのか、カビやキノコにはうす気味悪い不可解なものいう印象が強かった。黴はカビ、菌はキノコのことだから、いい名前のはずだが、湿ったところに生え、じめじめした時期に胞子をまき散らすのだからそう思われても仕方ないのかもしれない”(本書より)
身近な自然を対象とした植物学、菌類学など長年研究してくると、研究対象と研究者の一体感が出てくるようです。以前、この欄で紹介した『植物というふしぎな生き方』(PHP研究所刊)の蓮実香佑さんも「大学院で雑草学と出会い,植物の生き生きとした暮らしぶりに興味を持つ,自称,道草研究家。寄り道を楽しみながらも,雑草のようにたくましく咲く花を志す」という農学博士でした。
本書は専門家が片手間に書いた啓蒙書とはちがって,根っからキノコが大好きで、まるでキノコを友人のように思っている小川先生の長年の経験と信念がおのずと伝わってくる内容が、歯切れのいい講演を聴くような文体で綴られています。
「人のかかわりについて、とくに食べることにまつわる話題」、「自然界で菌類が果たしている役割、木材腐朽や落葉分解、菌根共生などの紹介」、「林業の実際や環境問題に役立っている場面」という章立てを見てもわかるようにこの本には、長年の菌類研究をもとに自然環境、とくに森林の大切さを全国のみならず、世界中の森林再生を通じて実践されてきた小川先生の強いメッセージが込められています。

“この世の中に無視されてよい存在はない。人の世界にも、目立たず、振り向かわれもせず、欲張らず、それでもキノコのように懸命に生きている人々がいる。いつの間にかそのような優しくつつましい生き方を軽んじ、経済力と軍事力で世界を牛耳ろうとしてきたのではないだろうか。人類がこれからも、この限りある地球上に生き続けたいと願うなら、「共生という私たちの生き方を見習っては」というキノコのつぶやきに耳を傾けてほうがよさそうである”(本書あとがきより)