街道をゆく39 ニューヨーク散歩

街道をゆく 39 ニューヨーク散歩 (朝日文庫)

街道をゆく 39 ニューヨーク散歩 (朝日文庫)

臨床看護2012年7月号 ほんのひととき 掲載
“マンハッタン島はニューヨーク市の都市機能を軍艦の主要部のように満載している。両側を川にはさまれて都心を形成しているという点ではパリのシテ島や大阪の中之島や堂島に似ているが、それらが川の中洲であるのに対し、こちらはハンマーで叩いても容易に割れそうにない岩盤でできあがっている点がちがう。マンハッタンとはインディアン語だそうである。“丘からなる島”という意味だという”(本書より)

今年のゴールデンウィークの連休を利用して、ニューヨーク・マンハッタンへ旅してきました。大学の後輩がスローン・ケタリングがん研究所病院泌尿器科に留学しているので、最新のアメリカでの前立腺がん治療の実際を見学することも目的のひとつでした。米国では男性悪性腫瘍罹患率の第2位を占める前立腺がんの一大治療拠点であるこの病院には、全米のみならず世界中から患者さんが来院することで知られています。
私が25年前の1985年から2年間、泌尿器科リサーチフェローとしてNew Yorkに留学した頃は、この病院の建物は古くかったのですが、新しくなった病院のエントランスには美術館のような絵画が数多く飾られていていました。
そして一番美しい季節である5月のマンハッタンの街角にはハナミズキの白い花が咲き、セントラルパークの新緑も陽光に輝いていました。道を走るイエローキャブにも新車が多く、鮮やかな色彩感覚の街にはいつもながら心を震わせる躍動感がありました。
今回の旅に持っていった本が、司馬遼太郎さんの本書『街道をゆく ニューヨーク散歩』です。1993年に司馬さんが、ドナルド・キーン教授のコロンビア大学退官記念講演のために渡米したときの旅行記ですから、もう約20年近く前に刊行された本です。勃興期のアメリカ文明の歴史と、コロンビア大学からひろがった日本学の豊かな水流をたどる内容には、再読ごとに啓発されるものがありました。
ちょうど今年3月はじめに新聞記事でキーン教授が日本国籍を取得し、日本名を「鬼怒鳴門」にしたことが報道されました。
“日本文学者のドナルド・キーンさん(89)が3月8日、日本国籍を取得し、記者会見した。約40年間、研究・著作活動で米国と日本を行き来し、日本の永住権も取得していたが、東日本大震災後、多くの外国人が日本を離れたと知って「私は日本に行き、ずっといる。日本を信じます、と知らせたかった」と話した。(2012年3月8日の新聞記事より)”
キーン教授と司馬さんとの親交は、昭和40年代後半からで、対談集『日本人と日本文化』(中公新書)にはふたりの碩学の自由闊達な話ぶりにはいまでも新鮮な響きがあります。
 さらに今回の旅行では、本書に詳細に描かれたブルックリン橋の歴史に興味を持ち、見に行きました。25年間かけて1883年に完成した長さ1834mの鋼鉄製ワイヤーロープの吊橋の工法と、それを支えた技術者たちの英知、そしてこの国のもつ自由さを強く感じられました。司馬さんの目で見たニューヨーク散歩は、一般の観光案内とは大きく違った視野をもたらしてくれます。

“技師長だったローブリングがブルックリンブリッジの工事をしていた1858年は、日本の安政5年で、安政大獄の年である。日本が西洋文明への参加を足踏みしているとき、アメリカではヨーロッパを凌ぐような技術革新がすすんでいた。ただし、ヨーロッパを追い越したというより、正確には、大胆な発想を生かしうる機会と現場が、既成のヨーロッパにくらべ、はるかに多かったといったほうがいい。
いまとなればすべてが何事もないニューヨーク的景色になっている。橋上には車が流れ、橋の下には、水量ゆたかなイースト川が流れている”(本書より)