人間 昭和天皇

人間 昭和天皇(上)

人間 昭和天皇(上)

臨床看護2012年5月号 ほんのひととき 掲載
“伝統とともに生きるということは時に大変なことでもありますが、伝統があるために国や社会や家がどれだけ力強く豊かになれているかということに気づかされることがあります。一方で型のみで残った伝統が社会の進展を阻んだり、伝統という名の下で古い慣習が人々を苦しめていることもあり、この言葉が安易に使われることは好ましく思いません”(本書より、平成の天皇「結婚50年の記者会見」2009年4月8日)

今年の正月に本書を新聞の書評欄でみてから、書店に手にしてみました。上下巻で合計1000余ページの大著でした。その書き出しが、1901年に昭和天皇の生誕地であった青山御所(いまの東宮御所)と、御所に接した国道246号線青山通りの当時の様子です。私事になりますが、私は大学医学部時代に所属していた硬式庭球部のトレーニングで、毎週のようにこの東宮御所と迎賓館の周囲約5kmの道を走っていました。しかし今までこの御所や迎賓館、さらに隣接する神宮外苑が辿ってきた歴史を詳しくは知りませんでした。歴史の謎解きをするような、穏やかでわかりやすい語り口の本書の文体にすぐ引き込まれて買い求めました。
著者の高橋紘さんは、共同通信社宮内庁詰め記者として活躍した後、昭和天皇をめぐる貴重な史料をいくつも発掘し、また昭和天皇や戦後の皇室に関する著作を何冊も出してきた皇室ジャーナリストだそうです。昭和49年夏に高橋さんが初めて昭和天皇と、那須御用邸で言葉を交わしたときの話から筆を起こし、昭和天皇の生涯や人となりのみならず、皇室の現状までとりあげています。
ちょうど下巻で、昭和天皇の手術、および術後のご病状を読んでいるときに、平成の天皇が東大病院で冠動脈バイパス手術をうけられるニュースを聞きました。
“平成の時代に入って久しい。55歳で皇位を継承された平成の天皇も、齢を重ねられた。皇太子の結婚や雅子妃の病気、皇位継承など皇室はさまざまな問題を抱えている。占領時代は天皇制をどうするかという存続派と廃止派のせめぎあいだった。現在の問題はそれよりももっと深化、複雑化し解決が難しいのではないか。当然、テーマがこの時代にまで及ばなければ、本書は完結しない”(本書より)
大上段に構えた皇室論でもなく、また歴史の流れを糾弾するような著者の主張を述べている本でもありません。皇室報道の単なる裏話でもありません。実際に著者の高橋さんが行った昭和天皇とのインタビューを交えながら、すぐれたジャーナリストによる綿密な取材をベースに感じられる上質なノンフィクションと思います。
とくに実際の昭和天皇が訪れた日本各地のみならず、皇太子時代に訪欧したイギリス、フランス、イタリアへも取材にいき、当時の侍従日記などの原資料にあたって書かれた内容は、読み手側に自らの考えを押し付けることなく、思索をうながす著者の深い想いが込められているようです。
さらに本書をまとめているときに著者の高橋さん自身が食道がんで闘病生活にいたことをあとがきで知りました。ときおり本文中に、主語が不明であったり、脈絡が飛ぶことを感じましたが、たぶん高橋さんの病床での闘病姿勢をそのまま伝えるようにあえて修正が加えられていないのでしょう。下記のあとがきを書いた3週間後の2011年9月に逝去されてことを思うと、本書への高橋さんの強い執念が感じられます。
“私事ながら本書の元となった原稿を50枚ほど書いたところで、食道がんが発見された。その頃は執筆意欲もあり、食欲も減じない上、近場ならば追加取材もできた。ガンが動き始めたのは、ことし3月ごろのことだ。(中略)ガンは容赦なく攻めてくる。私はそれを受けっ放しである。入退院は5回。薬のせいか毎日頭はボンヤリし、午前と午後を取り違え、時計がわからない症状も出てきた。そんな頭が混乱するなかで、何とか本文の構成は出来上がった。読者にとって読みやすいものになっていることを願っている”(本書あとがきより)