建築家 安藤忠雄

建築家 安藤忠雄

建築家 安藤忠雄

臨床看護2012年1月号 ほんのひととき 掲載
“最初から思うようにいかないことばかり、何か仕掛けても、大抵は失敗に終わった。それでも残りのわずかな可能性にかけて、ひたすら影の中を歩き、一つ摑まえたら、またその次を目指して歩き出し・・・そして小さな希望の光をつないで、必死に生きてきた。(中略)人生に“光”を求めるのなら、まず目の前の苦しい現実という“影”をしっかり見据えて、それを乗り越えるべく、勇気を持って進んでいくことだ。(本書 最終章「光と影」より)”

今年の秋に、私の所属する医師会主催の市民公開講座で、建築家の安藤忠雄さんが講演『自ら可能性をつくれ』を聴講しました。安藤さんを知らない方でも、表参道ヒルズの設計建築者といえば、お分かりになるかもしれません。
講演会のきっかけは、安藤さんが発起人になっている東日本大震災遺児育英資金『桃・柿育英会』へ医師会が義援金を寄贈したことで、市民講座への講演を申し出てくださったそうです。医師会会員よりも一般の方々が多数聴講されて、会場は満員の盛況でした。
ご存知の方も多いと思いますが、もともと『桃・柿育英会』は1995年の阪神淡路大震災のさいに安藤さんの呼びかけで発足した遺児育英資金です。約1時間の講演では、『桃・柿育英会』発足の経緯から話が始まりました。遺児を助けることには、以前からの教育に対する強い思いがあったようです。
“学生がなにかを学びたいと意思を示したとき、先に社会に出ている私たちには、その意欲に応え、機会と場所を提供する義務がある。未来を担っていく学生を、社会の財産として守り育てていかないといけない、そう思うのである”(本書より)
大学に行かずに独学した苦労、旅に出ながら本物を見続けたことが独自の視点を築いたことを、数々の素晴らしい建築作品のスライドと関西弁の飄々とした語り口でユーモアと笑いをまじえながらお話されました。
“22歳の時期に、自分なりの卒業旅行として、日本一周の旅に出た。主な目的の一つは、近代建築の雄、丹下健三の建築を巡ることであり、その感動は期待以上のものだったが、その一方で、各地に点在する古建築、とりわけ白川郷、飛騨高山といった土着の民家の空間に大いに心惹かれた。
人々の生活が空間に結実し、それが自然と一体となって動かしがたい風景を形成している。その生活の用から導かれた造形の豊かさに、新しい時代の建築とは異なる、静かな感動を覚えた”(本書より)
講演会の後に、私はサイン会で売られていた本書を買い求めました。自伝としても面白く、講演内容を思い浮かべながら一気に読み終えました。表紙の肖像写真をはじめとして数々の建築作品写真はすべて白黒で、「光と影」のコントラストを強調した画像を見るだけでも旅をしたくなります。
その写真のなかで私にとって一番の印象に残ったのは、以前この欄でも紹介した「司馬遼太郎記念館」でした。司馬さんの自宅敷地内に建てられた記念館は地中建築で中に入ると、「司馬遼太郎の創造空間」をモチーフとして高さ11メートルの壁面いっぱいに書棚がとりつけられて、集められた二万余冊もの蔵書が展示され、まるで司馬さんの脳内空間にいるような雰囲気をかもし出していました。
今回の講演の半月後にこの記念館で収録されたNHKの番組で、安藤さんが地元の中学生たちに吉田松蔭の話を自らの経歴に重ね合わせて語っていた放送『自分のつくり方 〜安藤忠雄が語る吉田松陰』を見ました。旅とともに猛烈な読書をしてここまで上り詰めてきた安藤さんの思いが、この記念館設計建築そして『桃・柿育英会』にこめられているようでした。

“何を人生の幸福と考えるか、考えは人それぞれでいいだろう。私は、人間にとって本当の幸せは、光の下にいることではないと思う。その光を遠くに見据えて、それに向かって懸命に走っている、無我夢中の時間の中にこそ、人生の充実があると思う”(本書より)