決断できない日本

決断できない日本 (文春新書)

決断できない日本 (文春新書)

臨床看護2011年12月号 ほんのひととき 掲載
“政治とは本来、ぶつかりあう価値を調整し、利害のせめぎ合いにぎりぎりの折り合いをつけて、最終的な決断を下す営みですが、日本の政治エリートはいつの間にか、そうした本来の仕事を棚上げする傾向がでてきた。決断しなければ、責任を取る必要がないからです。(中略)かつては長所だった日本の「和の文化」は、「過剰なコンセンサス社会」に堕落してしまい、危機の時代にその恐るべき弱点をさらけ出しています。”(本書より)

今年3月11日の東日本大震災の直前に、“「沖縄はごまかしとゆすりの名人」発言報道”で、米国務省の日本部長(前駐沖縄総領事)を更迭された知日派の米国外交官だったケビン・メアさんの告白本(自伝?)が9月に新書で刊行されました。
歪曲報道に基づく不当人事と抗議するものの、「発言」の反論・弁解の機会を与えられなかったことを不服として、辞表を出した翌日に3月11日に大震災がおき、退職を延期して国務省の対日支援タスクフォースの調整官に就任し、「トモダチ作戦」の円滑な遂行を支え、普段のニュースからうかがい知れないその経緯と舞台裏の数々の証言を生々しく描いた内容は本書の魅力になっています。メディアにも大きく取り上げられて、お読みになった方も多いと思います。
私は、30年前の研修医時代に、琉球大学病院で1年間の研修を受けたときに沖縄県那覇市に住み、琉球文化に接する機会を持ちました。その後、ニューヨークに2年間留学したことから、外交官やジャーナリストの書いた日米同盟関係の本には興味を持ち続けています。以前この欄でも、『同盟漂流』(船橋洋一著・岩波書店刊)をとりあげたことがありました。
“国と国との間の信頼関係を築くには、不断にコミュニケーションをよくし、対話をする小さな日常的な努力の積み重ねしかない。絶え間ざる日常的な気配り、絶え間ざる再評価、さら絶え間ざる再確認が必要だ。一回のイベントであってはならない”(『同盟漂流』より)
そして昨年には、知日派の駐日アメリカ大使だった『ライシャワーの昭和史』(パッカード著・講談社刊)を本欄で紹介しました。アメリカと日本、そして中国、朝鮮半島をめぐる歴史、文化を日本の学者がみる以上に客観的でかつ深く歴史的理解にたっていたライシャワー氏の言葉や予言には魅了されました。
本書『決断できない日本』の著者のメアさんも、過去35年間にわたってアメリ国務省の外交官として、さらに通算19年間は日本に住んでいた経歴があり、夫人が日本人であることもライシャワー元大使と似ている面があります。
ただし元大使との大きな違いは“私の見方は学問的な研究の成果ではなく、日本と仕事してきた私自身の個人的な経験のみに基づいています”と書かれているように、正論を極めて単刀直入に述べている点です。歯切れがいいので、ついつい引き込まれてしまいます。
さまざまな読み方ができると思います。米国の国益を第一に考える思考姿勢には反発される方も多いと思います。しかし最終章にかかれた大震災復興のためのグランドデザイン作りへのメアさんの助言には、「トモダチ作戦」のタスクフォースを務めた熱い思いが素直に伝わってくるようです。
“日本の政治家・官僚たちは後から批判されるのを恐れ、完全な情報が出揃うまで計画づくりを先延ばしする恐れがある。今の復興の現状をみるとその心配は杞憂には終わらず、ほぼ的中してしまっている。
アメリカだったら、まだ分からない部分があり、完全な情報がない段階でも、とにかく動き出し、後のなってそのやり方が間違っていると分かったら、すぐに軌道修正すればいいという態度で危機に臨みます。日本での失敗に対する風当たりは、欧米に比べていささか強いのは確かかもしれません”(本書より)
医療の現場でも同じようなことが当てはまる面がありそうですね。