三陸海岸大津波

三陸海岸大津波 (文春文庫)

三陸海岸大津波 (文春文庫)

臨床看護2011年8月号 ほんのひととき 掲載
“或る婦人の体験談に、津波に追われながらふとふりむいた時、二階家の屋根の上にそり立った波がのっと突き出ていたという話があった。深夜のことなので波は黒々としていたが、その頂きは歯列をむき出したように水しぶきで白くみえたという。私はその話に触発されて津波を調べ始めた。そして、津波の資料を集め体験談をきいてまわるうちに、一つの地方史として残しておきたい気持ちにもなった。”(本書まえがきより)

本年3月11日に発生した東日本大震災三陸海岸津波から3ヶ月たちました。未だに行方不明の方、そして避難所生活を送っていられる方がまだまだ多くいらっしゃり、大きな打撃を受けた地元医療現場で毎日懸命に医療に携わっている読者の方々も多いことと思います。
直接の被災はしていなくても、さまざまニュース報道、映像、解説に毎日接して不安になり、体調不良を訴えて受診される患者さんを私のクリニックでも診ています。とくに大津波が押し寄せてくるリアルな映像は、繰り返し放映されてその脅威に怯えた方も多いと思います。
震災関連の本としては、著者が阪神大震災に罹災してそのときの経験をもとに書かれた小説『M8』(高嶋哲夫著、集英社刊)を2005年に本欄で紹介しました。
“「私たちの子供は将来,ほぼ間違いなく大地震に遭遇する,にも関わらず,十分な備えをしていないのではないか」。そんな疑問がこの小説の執筆のはじまりだった”と書評インタビューで述べた高嶋さんは,“この小説の中にも地震前の備えから避難方法まで,すべてわかるようなマニュアルのつもりで書いた。いつか一人の命でも救うことになればいい”という言葉通りに,自らの阪神大震災罹災の経験から,サバイバルの方法を随所に織り込んでいました。
この高嶋さんの本には、『TSUNAMI』『原発クライシス』などもあり、書店の大震災関連コーナーに文庫本として並んでいました。そしてその書店コーナーで見かけたのが、今回ご紹介する吉村昭著『三陸海岸津波』です。
“徹頭徹尾「記録する」ことに徹している。情緒的な解釈もしない。圧倒的な事実の積み重ねの背後から、それこそ津波のように立ち上がってくるのは、読む側にさまざまなことを考えさせ、想像させる喚起力である。(本書文庫版 解説より)”と指摘されている吉村さんの歴史小説、あるいは医療歴史小説はこの欄でも何回か取り上げてきました。
本書は今から約40年前の1970年(昭和45年)に刊行され、その後は文庫本として収録されました。明治29年(1896年)6月の津波昭和8年、そして昭和35年と三たび大津波に襲われた三陸海岸を丁寧に取材して、前兆、被害、救援の様子を体験者の貴重な証言をもとに書かれた歴史小説です。
“当時(昭和35年チリ地震津波)の老漁師体験談を記録したものの中には、津波が来たという言葉の代わりに、「よだが来た!」という表現が数多く残されている。「よだっていうのは、地震もなく、海面がふくれ上って、のっこ、のっこ、のっこと海水がやってきてよ、引き潮のときがおっかねもんだ」”(本書より)
海に囲まれた島国・日本を舞台にした歴史小説を数多く書いてきた吉村さんが、今回の大津波を見たらどんな感想をもったであろうかと思って私は読み進めました。そして読後には吉村さんの三陸海岸へのとくに強い愛着が印象に残りました。

“私は、三陸海岸が好きで何度か歩いている。私を魅する原因は、三陸地方の海が人間の生活と密接な関係をもって存在しているように思えるからである。三陸沿岸の海は土地の人々のためにある。海は生活の場であり、人々は海と真剣に向かい合っている。
海は、人々に多くの恵みをあたえてくれると同時に、人々の生命をおびやかす苛酷な試練をも課す。屹立して断崖、その下に深々と海の色をたたえた淵。海岸線に軒をつらねる潮風にさらされたような漁師の家々。それらは、私の眼にまぎれもない海の光景として映じるのだ。”(本書より)