共感 心と心をつなぐ感情コミュニケーション

共感―心と心をつなぐ感情コミュニケーション

共感―心と心をつなぐ感情コミュニケーション

臨床看護2011年6月号 ほんのひととき 掲載
“誕生から死まで、人が一生かかって経験することを医療職者は日常の出来事として取り扱っている。その現場は、通常の社会よりも感情の発露や交流が最も先鋭に、また頻繁に現れてくる社会である。このような厳しい医療の場で、患者の気持ちを察するという共感プロセスと感情コミュニケーションは、どのように働いているかを感情管理の視点から考える必要がある。(本書 はじめにより)”

3月11日に発生した東日本大震災に被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。厳しい状況のなかで、復興へむけての取り組みがこれからも長い期間にわたり必要になると思いますが、一日も早い立ち直りを心からお祈りいたします。
大震災発生以来、現地に赴きあるいは避難されてきた方々への医療サポートされている皆さんも多いことと思います。私事ですが、遠縁で福島県から一家7人で東京に避難された方たちの話を実際に聞く機会がありました。震災および原発事故による退避で、先行きがまったく見えない中でも、一家で明るく支えあっている姿を目の当たりにしました。会ってから振り返ると、力づけられたのがむしろ私のほうだったのでは思えるようでした。
大震災後に、計画停電・節電で診療時間が制限されたことで家にいる時間が長くなり、私は積読(つんどく)していた本を読む時間がふえました。そして被災された方々への復興援助、さまざまな支援の絆が日本のみならず、海外からも寄せられている報道に毎日接するなかで、本書『共感 心と心をつなぐ感情コミュニケーション』に出会いました。
著者の福田先生は富山大学大学院で行動科学を教えていらっしゃる教授です。医療従事者の基本になる「共感」について幅広い視点、歴史、実際の現場をふまえた深い思索を感じながら私は読み進めました。そのなかには、大震災に被災された方々への「共感」にも通じる言葉が、随所に引用されていました。
“患者の気持ちを理解するとはどのようなことなのか、新人看護師が流す涙と、ベテラン看護師が流す涙が同じなのか、異なるのかなどについて、人間に備わった他人の感情を共有する共感という基本的能力を通して考えてみる。このことはすべての対人援助職の場での共通の問題である。(はじめにより)”
いままでこの欄で取り上げてきた本のなかで、『聴くことの力』(鷲田清一著)、『心と治癒力』ビル・モイヤーズ著)を思い起こしました。
また、ふだん何気なく感じていながらも指摘されてみてどきっとする言葉が本書には数多くありました。そのひとつに、「共感」と「同情」の違いについての考察がありました。
“角田は、日本語の共感と同情の違いを、「する側とされる側に優劣の関係が生じやすく、する側は自己の安定が脅かされることなく、される側にすれば助けにならないことばかりか、同情されることで見下されたような感じになる」とまとめ、同情を否定的な感情体験と捉えている。たとえば同情からは、心からの笑みは出ず、出るとすれば優越性の笑みであり、皮肉の笑みであるかもしれない”(本書より)
ただし本書は、一度通読しただけではかなり難解な本です。そのために様々な構成の工夫がされています。欄外には引用したい言葉をまとめてあり、マゼンタと黒の二色刷りによる温かさもその表われだと思います。
そのなかで本書が私にとって貴重だった点は、引用文献・著書の多さでした。福田先生の書斎を覗き込んだような引用の本の題名をみながら読み返すと、おのずと理解が深まり、なによりもの読書案内として活用できそうです。

“日本には「沈黙」や「間」の中に自分の意思や感情を表現する高度の文化がある。沈黙とそこからくる「察する」ということを通した共感とは何か。ここに沈黙の中に潜む他者の無意識の微妙な変化を察知する高度の感性と想像力、共感能力が問われている。おそらくこれは若い医療職者にとって非常に困難な技能で、教育では学ぶことが難しい”(本書より