リア家の人々

リア家の人々

リア家の人々

臨床看護2010年11月号 ほんのひととき 掲載
“人にはそれぞれの背景がある。同じとき、同じ場所にあっても、それぞれに得るものは違う。違うものを得て、同じ「一つの時代」という秩序を作り上げて行く。一切が解体された「戦後」という時代は、新しい秩序という収まりを得ることに急で、その秩序を成り立たせる一人一人の内にあるばらつきを知らぬままにいた。”(本書より)

失われた昭和の家族の姿を、戦前、戦中、戦後の時代の変転とともに冷静に描き出した小説を紹介します。著者の橋本治さんの本としては、本欄で『小林秀雄の恵み』を取り上げました(本誌2008年4月号)
橋本治の魅力はオリジナルな断言と、その断言を支えるべくもちいられる論理のねちっこさにあると思う”と評されている本でしたが、今回の小説にもその「ねちっこさ」が隠し味になっています。
「リア家」とは、シェイクスピアの『リア王』から隠喩で、各章の冒頭には、引用が転記されています。
“いや、いや、いや、いや!さ、牢獄へ行こう、二人っきりで、籠の小鳥のように、歌って暮らそう。おまえがわしに祝福を求めれば、わしはひざまずいておまえに許しを乞う、そのようにして生きていこう”(リア王 シェイクスピア著 小田島雄志訳より)
主人公は、明治41年生まれの砺波文三という帝国大学英文科卒業の文部官僚で、大正リベラリズムの時代に思春期を過ごします。ちなみに「文三」という名前には、いまの東京大学の入学試験の際に用いられる「文科三類」を類推させますし、本書第4章「嵐」で描かれる昭和44年の東大入試中止を暗喩しているようです。
積極的に何かを提案することを決してしない、官僚としての文三の姿を橋本さんは冷徹に突き放したような表現で描いています。
“学生時代の彼は、もう典型的な官僚だった。自分がどう思うかではなく、「どう思えばよいのか」を第一に考えていた。(中略) 
人は、納得をして了解をするのではない。了承せざるをえない状況の中で、その状況に押されて、ただ了承をするのである”(本書より)
そして戦後に文三は、終戦時の文部行政の担当職務のために占領下での公職追放になりました。妻のくが子が失職した夫と娘3人のために苦労を重ねたあげくに、40歳の若さで子宮癌で亡くなりました。看病に苦労する文三の姿に、まだ「がん告知」がなされていなかった時代を橋本さんは次のように丹念に描いています。
“妻にそれを言えたら、どれほど楽だろう。妻との間に「癌」という事実を共有して、そのことによって妻の病気が快方へ向かったら、どれほど楽になるだろう。しかし、それは出来ない。妻をだまし続けるようにして、その結果、妻一人を苦痛と孤独の方向に追いやるようにして、そのように思い込んで、文三はつらかった。自身が苦痛と孤独の中に追い込まれている文三は、妻もまたそのような状態にあるのだろうと思い込んでいた”(本書より)
第1章にはその妻の十三回忌を終えた文三の寂寥を、映画の一シーンを見るような強烈なイメージでとらえています。
“障子の向こうにうっすらと陽の色が見える。黄昏の薄明かりに沈みそうな部屋の中に座った文三は、ネクタイの結び目をゆるめると、「さてー」と言ったまま動かなくなった。(中略) なにを思い出していいのか分からない文三は、やせた肩から息が抜けるまでの間を、ただ座っていた”(本書より)
さらに50歳代、還暦の60歳を迎え、家族との葛藤、時代の大きな流れに翻弄される文三の姿を、いま50代半ばにいる私自身もはっとするような表現で描いています。
“50代という薄明のときを、進むつもりもなくただ歩いていた。自分のありようを知ろうとして足許を見ても、それを教えてくれる影がない。(中略)
文三は来年に60なる。「60」という年が身に沁みて思われるわけでもない。老いの道を歩き始める覚悟をしたつもりで、それはどれほどでもない。文三はいつか、「生きるべき時」を自分の中で止めていた”(本書より)
本書を読みおえたとき、ある家族のたんなる喪失の物語だけではなく、橋本さんがこの小説に描き出した家族の姿は、戦後の日本の時代そのものなのだろうと思われてきました