ゆびさきの宇宙 福島智・盲ろうを生きて

ゆびさきの宇宙―福島智・盲ろうを生きて

ゆびさきの宇宙―福島智・盲ろうを生きて

臨床看護2009年9月号 ほんのひととき 掲載
“盲ろうになって、神に手が届くような感覚を持ちました。
見えない聞こえない。宇宙空間が私の側に広がっているので、手をのばせばすぐそこにある、何者かにつながっているような気がする。虚無と孤独がすぐそこにある。光と音に満ちている人も、私も9歳になるまではそうでしたけれど、とことん追い詰められて、究極の孤独を経験すれば、逆に自分を超越するなにかの「手」を感じるのではないですかね”(本書より)

年に1回か多くても2回、こころ揺さぶられるノンフィクション・ドキュメント作品に出会えることがあります。対象者の選択もさることながら、著者が綿密な取材とインタビューをもとに事実を執拗に明らかにしていく過程が、優れたノンフィクション作品の魅力です。
今までもこの欄で、私の感動したドキュメント作品を取り上げてきました。立花隆ハルバースタム船橋洋一ドウス昌代、ジョン・ダワー、小林照幸さんらの作品を凌駕するようなすばらしい本を今回ご紹介します。
著者の生井久美子さんは、朝日新聞の記者で、95年家庭面の連載「付き添って」でアップジョン医学記事賞受賞し、医療や介護、福祉の現場取材を続けて、最近では朝日新聞夕刊一面企画「ニッポン人脈記」シリーズで障害とともに生きる人々を綴る「ありのまま 生きて」(2007年)などを手がけてきたそうです。
2005年に、障害者自立支援法案について、福島智さんへの取材インタビューをもとに、福島さんを追いかけ続けてきた生井さんが、本書『ゆびさきの宇宙 福島智・盲ろうを生きて』として今年6月に刊行されました。
そのいきさつは巻頭でさらりと紹介されています。
“目が見えず、耳も聞こえない。ヘレン・ケラーと同じような障害を持つ。3歳で目に異常が見つかり、4歳で右眼を摘出。9歳で左の視力も失う。14歳で右耳、そして18歳ですべての音を奪われ「盲ろう者」となる。
母の考案した「指点字」と「指点字通訳」の実践。盲ろう者として初めて大学に進学、いくつものバリアを突破してきた。そして恋も結婚も…。
落語とSFを愛し、ユーモアと切なさをもつふしぎな人。彼に引き込まれ、追いかけながら、考えた。生きるってなんだろう…”
福島さんをモデルにした、テレビドラマ「指先でつむぐ愛」(2006年)をご覧になった方も多いと思います。そのなかで福島役を演じた俳優の中村梅雀さんと福島さんの「会話」が本書のなかでも取り上げられていました。
“「変革者はある種の怒りをもっているのではないか」と中村梅雀は話した。
中村の見方を伝えると、福島は一気に話した。
「的を射ているかもしれない。私の中には怒りというか何というのか、このままでは終わらせたくない、とのエネルギーがあった”(本書より)
福島さんを、東京大学先端科学技術研究センター教授へ推挙した児玉龍彦先生のことばも印象に残ります。
“21世紀の先端とは何か、それは人間の内面に入っていくこと。盲ろう者の内側から分析したものはまれで、盲ろうという極限の状況のなかで、人間にとって本当に大事なことは何か、その本質が見えてくる。障害を持って生きる価値を、コミュニケーションの、特に単なる言葉だけではなく、全体的な環境情報が欠かせないということがよくわかる”(本書より)
涙あり、ユーモアの笑いあり、苦労話でもありながら、まるで関西落語の名人芸を聴くような、そんな明るさも兼ね備えている本書からは、再読するたびに、まさに「生きるってなんだろう」という問いに対するさまざまな視点を教えてくれます。

“私とヘレンとはスケールがちがいますが、やはり「歴史的な役割」を感じていて、それで息苦しい、きゅうくつな思いをすることも多いのですが、ヘレンよりずっとわがままに、ずうずうしく人間ができていますので、関西人的バイタリティーで、「そんな使命など知るか」という反発も発揮して、どうにか内的バランスを保っています”(本書より、福島さんの言葉