あなたと共に逝きましょう

あなたと共に逝きましょう

あなたと共に逝きましょう

臨床看護2009年5月号 ほんのひととき 掲載
“黒いレントゲンフィルムの真ん中に動脈瘤がでんと夕日のように写っている。私たちは負けたのだとひと目でわかる。何センチあるのか計るまでもない。前に見たときとたぶん寸分違わない円球が、大動脈に貼り付いている。重たげで今にも熟し柿みたいにポトリと落ちそうに膨らんで、どうだ見たかと勝ち誇ったようにぎらぎら照り映えている。悪魔。”(本書より)

以前、この欄で村田喜代子さんの『蕨野行』をご紹介したのが2004年4月、ちょうど5年前でした。私がもっとも好きな女性作家の一人である村田さんの新刊がひさしぶりにでました。それが本書『あなたと共に逝きましょう』です。夫婦心中の物語ではありません。いつもちょっと意表をつく題名は、村田さんの特徴なのかもしれません。
 物語は、娘が独立してアメリカに行ったあと、福岡在住の二人暮らしの夫婦(義雄64歳と香澄62歳のどちらも現役で働いていて、ヘビースモーカー)の「胸部大動脈瘤・闘病記」として描かれています。
“若い頃、5、60代の人々を見ると先が短いような印象を持ったが、自分がその齢になってみると一向に老人の気分はない。来し方を振り返ると、自分の人生の消費してしまった時間のほうが、手付かずの時間より長くなっているようだ。長いようで短いのか。短いようで長いのか”(本書より、術前の香澄の独白)
そんな老いとは無縁と思い込んでいる元気なふたりの生活に、ある日、夫の胸部大動脈瘤6cmが見つかります。発見の経緯、病院でのやりとり、手術が必要と宣言されるものの民間療法を試さずにはいられない切ない気持ち、といったあらすじを書評で読んだときに、つい最近、私の高校時代の同級生のことを思い出しました。
大手IT会社の営業部長で、バリバリと仕事をして、ヘビースモーカー、さらには健診で高血圧を指摘されていたものの忙しさと健康にかまけていた50歳代半ばの同級生が、ある日左胸背部痛で救急搬送されたのは昨年の暮れでした。幸い、大事にはいたらなかったものの、MRIで発見されたのは胸部大動脈解離でした。降圧療法で退院したあと、会社復帰する前に一緒に食事をと、ふらっと私のクリニックに来たときには驚きました。10kg近く減量し、以前の脂ぎった顔つきから穏やかな、高校生時代のような顔つきになっていました。
減塩の食事にどこに連れて行こうか、もし食事中にまた解離を起こしたらどうしようかと心配した私の杞憂をよそに、本人は持ち前の明るさで平然としていました。
60歳になって元気だった夫が病気なる、あるいは急に亡くなり、残された妻の繊細な気持ちの移ろいというストーリーは、桐野夏生さんの『魂萌え』(毎日新聞社刊:この欄では、2005年10月号で紹介)とも似ています。
“若い頃は、歳を取ったら穏やかになると思っていたが、60歳を目の前にした自分の心は若い頃以上に繊細だし、時々、暴力的といってもいいような衝動が沸き起こる。感情の量が若い頃より大きくなった気がする”(『魂萌え』より)
本書では、人工心肺を用いて心停止させながら胸部大動脈瘤切除・人工血管置換を行うという、もっとも体に侵襲の大きい手術の術前、術後の患者家族のうつ状態や大きく動揺する心の動きを、村田さんならではのデリケートなタッチでえがいています。桐野さんと読み比べてみるのも面白いと思います。

“何だろう。このわけのわからない悲しみは・・・。疲れからくるものなのか、張り詰めていたものが弛んだせいか、わからないが私の心はぐちゃぐちゃだった。義雄は助かったのに、ぼろぼろの血管は新しい強靭なダクトと取り替えられたのに、義雄の心臓はまた動きはじめたのに、この悲しみは何だろう。
義雄は手術という現実で病気を乗り越えたが、考えてみると私にはその現実がないのだった。義雄の手術は彼のもので、私のそばをすり抜けて行っただけである。義雄はからくも三途の河原で引き返したが、私はまだ一人だけ岸辺に取り残されている”(本書より)