小林秀雄の恵み

小林秀雄の恵み

小林秀雄の恵み

臨床看護2008年4月号 ほんのひととき 掲載
小林秀雄の思想は,一言で言ってしまえば,「読みに値するものをちゃんと読め」である。もちろん,この「読む」の対象は文章に限らない。小林秀雄にとっては,絵画も音楽も「読む対象」だし,彼が読もうと思ったら,すべてはその対象になる。「読む」は,「聞く」でもあり,「見る」であり,五感を総動員して捕捉することが,彼にとっての「読む」である”(本書より)

 小林秀雄さんの本は高校生時代から何度か読んでは,そのたびに難解さでわからずじまいに終わってきました。医学部学生時代(昭和52年)に『本居宣長』初版本を書店で見て背伸びして買ったことがありました。箱入り,藍色の布製の造本で,扉には奥村土牛画伯の山桜が描かれていました。当時の定価で4,000円。分不相応に豪華で難しい本を買ってしまった,とは思いながら,長らく本棚に飾っておきました。
 さらに新潮文庫から『本居宣長』が出たとき(平成4年)には,『本居宣長補記』も収めた最新刊という宣伝に乗せられて,懲りずにまた買い求めました。
 文庫本を携えて平成7年に,松坂の本居宣長記念館を訪れたこともありました。宣長の自宅診療所であった「鈴屋」が当時のまま保存されていて,小児科医としての足跡も煎じ薬などの資料ともに展示されていました。宣長の学問業績の大きさに比すると,2階にある書斎の狭さには驚きました。
 前回,本連載で追悼した故・野笛涼先生と5年前に宴会でお会いしたときに,野笛先生が「小林秀雄はちっともわからない」とおっしゃったのに対して,「でも『本居宣長』だけはいいですよ」と私がわかったふりをし続けたことに,今も後ろめたさをおぼえています。
 今回,この『本居宣長』の解説書(?)が出ました。
 “小林秀雄という存在を,人生に「学問」という恵みを与えてくれる人として新たに読み解いてゆく愛のある論考。本居宣長こそ,日本における「学問する」知性=近代の始まりだと小林秀雄は考え,その宣長に自分を重ね,ひそかに生涯を振り返ったのではないか?”
 という書評を読んで本書『小林秀雄の恵み』をすぐに買い求めました。
 この本も決してわかりやすい解説本ではありません。“著者の橋本治の魅力はオリジナルな断言と,その断言を支えるべく用いられる論理のねちっこさにあると思う”という新聞書評のとおりで,小林秀雄なみに本書も一度読んでもなかなかわからないように書いています。むしろ一度読んだだけでわかってたまるかという根本的な姿勢が感じられます。
 この本を取り上げた理由は,「町医者」としての本居宣長の姿を描いている点に惹かれたからです。国学者としての業績が余りにも大きすぎるために無視されがちですが,地元・松坂では医師として40年以上にわたって活動してきたことでも知られ,亡くなる10日前まで患者の治療にあたってきたことが記録されているそうです。また小児科医として,付き添いの母親の診察を乳児の病気の原因は母親にあると,必要以上に診察した逸話があるそうです。
 “本居宣長は,はやらない医者ではなかった。医者であることによって,「経済的な自立」以上のものを得ていた。しかし名声を高くして多くの門弟を得た後にも,患者からの依頼があれば,講義を中断して往診に出かけた。謝礼欲しさではもちろんない。「人の命は学問より重い」でも,おそらくない。「生業である医者のありようは,副次的な学者であることよりも優先させなければならない」という,生活者のモラルからである…小林秀雄の書き方は,「そのように考えられるべきだ」と言っているようである”(本書より)
 私事になりますが,次回より私の肩書きが変わり,「中村クリニック泌尿器科院長」となります。大学病院講師,公立病院部長から,「町医者」になることに本居宣長を重ね合わせることは僭越とは思いますが,いつになっても「学問」する矜持を持ち続ける大切さを本書から教えられました。