オランダ紀行

街道をゆく〈35〉オランダ紀行 (朝日文芸文庫)

街道をゆく〈35〉オランダ紀行 (朝日文芸文庫)

臨床看護2008年5月号 ほんのひととき 掲載
鎖国された日本社会を一個の暗箱とすれば,針で突いたような穴がいわば長崎であり,外光がかすかに射し込んでいてそれがオランダだった。(中略)
 ライデンの町はいい。どうも,この町がすきである。ひとりで,このレンガづくりの町にきた。だから,自分でみつけたような愛着を感じた。十七,八世紀,あるいは十九世紀のレンガづくりの家が運河ぞいにならび,質朴で,襟から胸にすこしアクセサリーをつけた程度の姿を水に映している”(本書より)

 チューリップの花が咲き乱れるこの季節になると,いつかは訪れたいと思っている国がオランダです。かつて江戸時代にオランダが日本にもたらした「蘭学」はまさに近代文明の外光でした。近代医学もご存知のように「蘭学」によって日本に伝えられ,江戸時代から明治時代への大きな架け橋になりました。
 本連載でも司馬遼太郎さんや吉村昭さんの蘭学を中心としたこの変革期の医学歴史小説(『胡蝶の夢』,『夜明けの雷鳴』など)を取り上げ,また長崎に行ったときには,シーボルト記念館を見学に行ったときの私の感激も書き綴りました。
 最近,『レンブラントの夜警』という映画が上映されました。市民文化が花開いていた十七世紀のオランダを舞台に,画家として絶頂期にあったレンブラントがなぜ失墜したのかを,スリリングな謎解きと当時の風俗を再現した重厚な映像で描いた大作という,絶賛する映画評を読み心そそられていました。
 今回,本書“街道をゆくシリーズ35巻『オランダ紀行』”を取り上げたのは,この絵・「レンブラントの夜警」を市民社会の新しい流れのなかでとらえていた司馬さんの記述が印象に残っていたからです。
 “静物画や人物画や風景画といった分野を開発したのも,十七世紀のオランダ人だった。それまでの画家で,だれが,ただの農家のテーブルや,無名の市民や,へんてつもない田園が絵になると思ったろう。十七世紀のオランダ人たちは,絵画から聖書の物語性を追いだしたのである”(本書より)
 十七世紀に絵画のみならず,オランダという小国が医学,そして思想史,国際法など当時のあらゆる分野で先覚者を生み出した土壌を,司馬さんは本書の中で入念に描き出しています。
 “十七世紀のオランダの活動には法学部的要素もある。いまなお,国際法の父とよばれているグロティウスも十七世紀のオランダが生んだ人である。
 このグロティウスにおける国際法も,すべて商業という機能の所産だった。商業は,モノを質と量で見,またものごとを理性で見るのである。紛争もまた宗教の規範から離れ,アムステルダムの計量所が秤で商品をはかるようにして,法ではかれないか,と考えたところが,グロティウスの十七世紀のオランダ人らしいところであったろう”
 久しぶりにこの本を再読して,心打たれたのはレンブラントと同じオランダの画家・ゴッホについての司馬さんの強い思い入れの記述でした。
 “ゴッホの死後,弟のテオが母親に出した手紙は,いつ読んでも心が洗われるようなおもいがする。テオは,母親に,「かれは小麦畠のなかの陽のあたる場所で休息しています」と書いた。テオは兄が休息しているのだと思いたかった。それほどはげしく生きたことを,テオだけが知っていたのである”(本書より)
 いつ読み返してみても,「街道をゆく」シリーズは旅への楽しさと,歴史への深い洞察,そして軸のぶれがない視点を教えてくれるようです。

 “唐突なことをいうようだが,ゴッホを考えるということは,自分で自分を解放するということであるらしい。ただし,解放とか自由とかいうものは,おそろしくもある。
 慣習(固定観念)からとびだして自由をえれば,自分で自分の体内の脂肪を焚いて体温を保つしかなく,なにごとも自分で考え,自分で実行し,非難の矢はすべて自分の胸で受けざるをえない。ゴッホは真に自由を得た人だったが,その生涯はそれだけにつらかった”(本書より)