南仏プロヴァンスの12か月

プロヴァンスの贈りもの (河出文庫)

プロヴァンスの贈りもの (河出文庫)

臨床看護2008年3月号 ほんのひととき 掲載
“丸い小ぶりな山羊チーズを二つ皿に並べて私の前においた。点々とハーブの混じったチーズの表面は油で光っていた。彼は木の柄のついた古いナイフを差し出し,私がチーズを切って口に運ぶのをじっと見守った。強烈な味と匂いが口中に広がった。これで私の舌はすっかり仕込みが出来あがり,ワインはまさに甘露だった”(本書より)

 昨年秋に,映画「プロヴァンスの贈り物」(原題 A Good Year)を見ました。ロンドンの辣腕ビジネスマン(ラッセル・クロウ)が,南フランス・プロヴァンスの地で人生を見つめ直す様を描いたヒューマンドラマで,プロヴァンスのゆったりとした空気,明るい陽光,丘に広がる葡萄畑と古い館などなど,美しい映像でした。
 この映画の原作が,本書『南仏プロヴァンスの12か月』で,約20年前に刊行されて世界中で翻訳されてミリオンセラーになった名著です。
 著者のピーター・メイルさんはそれまでロンドンとニューヨークを行き来する有能な広告マンでした。1989年に小説を書くためにプロヴァンスに妻と犬を連れて移り住みました。当時53歳,そして200年を経た石造りの農家を買い取ってそこでの暮らしに馴染んでいく過程を月々の気候の移り変わりに沿って12編のエッセイにまとめ,たちまちプロヴァンスへの観光ブームを引き起こしたほどでした。
 表紙に描かれた,のどかな南フランスの田園風景にひかれて買い込んだ本書を,私は映画を見てから読み返してみました。
 プロヴァンスの1月の厳しい冬から始まる本書をゆっくり読み進めると,季節の移ろい引き込まれてしまいます。さらに本書の強い魅力はそこに暮らす人々と大地の実りを描き出すメイルさんの筆力です。
 “エドォアールは葡萄畑のどこの葡萄からどのワインができるかを詳しく説明した。利き酒にはワインごとに仮想の料理がでた。それぞれのワインと相性のいい料理を思い浮かべて舌を鳴らし,天井を仰いで美食の歓びを語った。私たちは空想の世界に遊びつつ,ザリガニの一種,エクルヴィスとスイパを添えた鮭の焼き物を片づけ,ローズマリー風味のブレス産のチキン,こってりしたガーリックソースをかけたローストラム,ビーフとオリーブのエストゥファード,トリュフをそえたポークロインを次々と平らげた”(本書より)
 たぶん,今ベストセラーになっているミシュランガイドよりも確かな味を愉しめると思います。

 本誌で2001年2月号から2008年1月号まで7年間,お隣のページで『ドレスのナース Tシャツのナース』を執筆されていた野笛涼先生が2007年9月に永眠されました。いつもちょっと辛口ながら,温かい視点と飄々とした文体で書かれていた病棟エッセイは私の毎月の愉しみでした。
 私事になりますが,健啖家でもあった野笛先生とは二度ほど学会で上京された際に,横浜中華街で賑やかな宴をご一緒した思い出があります。そのときの宴での姿をご紹介して,野笛先生を偲びたいと思います。

 “40代前半から50代半ばの男性5人と女性2人。知り合い,親友,同僚,それまで名前は互いに知ってはいても会うのは初めての関係,電話の連絡だけで会うのは初めての間柄,名前も知らず会うのも初めての初対面同士,等々。唯一のつながりは小誌(臨牀看護)。ひょんなことから実現した港町での会食。…紹興酒に緊張,年齢差,肩書きのすべてが溶け出して,その日が誕生日と告白した涼くんのためになんどもグラスを合わせ…。
 気を遣わず頭のなかで反芻することなく思い浮かんだそのままを口にし感じたままに反応する。一日のなかで5分でも楽しいことがあればそれでいい,とは今は亡き作家の言葉。いまだに思い出しては一人ほくそえむ。聖バレンタインデイの宴”(2003年4月号本誌「史」さんの編集後記から)

ご冥福を心よりお祈りいたします。合掌。