夜明けの街で

夜明けの街で

夜明けの街で

臨床看護2008年2月号 ほんのひととき 掲載
“不倫する奴なんて馬鹿だ。ところが僕は,その台詞を自分に対して発しなければならなくなった。ただし,その言葉の後に,こう続ける。でも,どうしようもない時もある…”(本書 冒頭の主人公の述懐より)

 いまさら本連載で紹介するまでもないと思っていた小説家の一人が,東野圭吾さんです。初期の作品の『白夜行』以来,もう10年近く新刊本が出るたびに買い求めてきました。最近は映画化された作品も多く,皆さんのなかにもファンが多いと思います。
 1999年には『秘密』で日本推理作家協会賞,2006年には『容疑者Xの献身』でやっと第134回直木賞を受賞しています。最近は本格的推理小説から社会派推理小説のような,現実的な設定の作品が多くなっているようです。
 私の家にも『手紙』『幻夜』『片思い』『赤い指』など,東野小説が書棚に並んでいて,大学生の息子たちも大ファンでよく読んでいます。
 医療をテーマにした小説としては,1年前の『使命と魂のリミット』があります。心臓外科研修医の女医夕紀が,父親の手術死亡の謎を解き明かすことを目的に医者を志し,父親の担当医だった教授のもとで研修を続けるという設定でした。圧巻は最後の手術室の場面で,それぞれの思惑が絡まってテレビドラマ『ER』以上の抜群の緊迫感でした。
 昨年6月に刊行された本書『夜明けの街で』は,横浜港を跨ぐベイブリッジが表紙に描かれていたので本屋ですぐに目につきました。そして冒頭の主人公の言葉から一気にストーリーに引き込まれました。
 “不倫する奴なんて馬鹿だ。その考えには今も変わりない。僕は僕自身のことを馬鹿だと思う。でも,一つだけ間違っていたことがある。不倫は快楽だけを求めているのでない,ということだ。元々はそうだったのかもしれないが,ひとたび始まってしまえば,そんな生ぬるいことはいっていられない。これは地獄だ。甘い地獄なのだ。そこからどんなに逃れようと思っても,自分の中にいる悪魔がそれを許さない”(本書より)

 最近の東野小説が社会派的といわれている理由には,ストーリーの底辺に「倫理」を据えているからだと思います。「不倫」を自戒するような主人公の言葉には,いま社会をにぎわしている食品偽装問題にも通じるような面があります。
 “こうして僕たちは,本来ならば越えてはいけない境界線を飛び越えてしまった。越える前はその境界上には大きな壁が立っているのだと思っていた。だけど越えてしまうと,じつはそこには何もなく,壁は自分が作り出した幻覚だったと知るのだ。
 たとえ幻覚であろうと,壁が見えていたから,境界を越えることなど想像もしなかったといえるのだ。もはや壁が見えない僕は,今度こそ自分の意思だけで感情をコントロールしなければならない”(本書より)
 表紙のベイブリッジがこの越えてはいけない境界線の象徴と思えてきます。

 今回,病院手術室を舞台とした『使命と魂のリミット』ではなくて,あえてこの「ミステリー風不倫恋愛小説」をこの欄で紹介したいもうひとつの大きな理由は,本書の舞台が私のホームタウンである横浜だったからです。
 “喫茶店を出て,緩やかな坂道を歩いていった。いつの間にか元町公園に足を踏み入れていた。外国人墓地に向かう道は木々で囲まれていた”
 “タクシーに乗り,山下公園に向かった。予約したクラシックホテルはそこにあるのだ。明治時代の洋館を思わせるホテルに着き,館内にあるフレンチレストランに向かった。港の夜景を見渡せる,広々とした店だ”
 そして事件の謎解きが行われる中華街,東白楽の古い住宅街など,私にとっては生まれ育った街が,映画の一場面をみるように描かれていることがうれしくてなりません。
 皆さんが学会などで横浜へお越しのときには,ぜひこの本を観光グルメ案内としてもお勧めします。

“いいことを教えてやる。赤い糸なんてのはないんだ。赤い糸は,二人で紡いでいくものなんだ。別れずにどちらかの死を看取った場合のみ,それは完成する。赤い糸で結ばれたってことになる”(本書 巻末より)