魂の切影
- 作者: 森村誠一
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 2005/07/20
- メディア: 新書
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“散る花の行方を追うて迷へども
めぐりぞ遭わむ運命(さだめ)の枝に"(本書より)
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この原稿をみなさんが読む頃は桜の咲く季節になるでしょうか。桜咲く頃もそして散る頃も心ときめき,つい感傷的になるものですね。
去年はケツメイシの『さくら』がヒットしていました。
“さくら舞い散るなかに 忘れた記憶と君の声が 戻ってくる"というフレーズは,桜が咲く前からさかんにオンエアされていました。
今回ご紹介する『魂の切影』の装丁には,夜桜を妖艶に描いた日本画家・加山又造さんの「花」が使われています。この絵が本屋の店頭で目に止まったのが去年の秋でした。春になったら読もうと机に「積ん読」していました。
本書は,31歳で進行性の乳がんに冒され,余命数カ月と宣告された女流歌人宮田美乃里氏をモデルにした森村誠一さんのノンフィクションに近い小説です。
宮田さんとの出会いのきっかけを森村さんはあとがき「永遠の恋人(モデル)――宮田美乃里氏哀悼」で次のように述べています。
“歌人・宮田美乃里氏を知った契機は,写真家荒木経惟氏との共著,写真歌集『乳房(ちぶさ),花なり。』であった。乳房を切除しても女であることの存在証明を刻むために,荒木氏のカメラの前に,自分の裸身を公開した。
余命のすべてを結集して詠んだ歌を従え,荒木氏のカメラによって定着された彼女の裸身は,生死の境界を漂流する者の壮絶な輝きに彩られていた。
宮田さんの慰霊の書であると同時に,その存在証明でもある。彼女に出会わなければ,私はこの作品を書くことはなかった。
(中略)最終回を宮田氏の四十九日,その仏前で朗読しながら,春がめぐりくるつど,彼女がこよなく愛した満開の桜に,その面影を重ねるであろう自分をおもった"(本書より)
この宮田さんに出会う直前に,森村さん自身が奥さんを肺小細胞癌で亡くして,“精神と生活の支えを失ったようで,なにをするのも億劫になってしまった。生活の張りを失ってしまった。なにかにつけて,ありし日の妻のことが思い出される。旅人は,旅の終わりに近づくと旅愁をおぼえる。人生という旅のラストステージに差しかかった人間の旅愁が,モーニングデプレッションであるのかもしれない"という虚脱感・鬱病状態にさいなまれていたそうです。
妻を亡くしてから,自らの存在証明を求めて旅するというステップを読んでいると,以前この欄で紹介した遠藤周作さんの『永遠の河』を思い出しました。やはり進行がんで妻を亡くした主人公がガンジス河へ妻の生まれ変わりの少女を探しに旅をする心境は,森村さんが運命の恋人を求めて宮田さんを描こうとしたきっかけと共鳴するように思えます。
“人はだれでも死と隣り合わせに生きています。でも,日常の暮らしの中で,そのことを人はあまり意識しません。日常性が奪われたとき初めて死を意識します。むしろ死を日常としている人間の方が生を意識するのかもしれません"という宮田さんの言葉が,歌となって描かれています。
さらにこの本のなかでは,信州・上田市にある「無言館 戦没画学生慰霊美術館」が取り上げられています。私は,昨年夏に東京駅のステーションギャラリーで開催されていた「無言館展」で初めてこの美術館のことを知りました。
“遠い見知らぬ異国で死んだ 画学生よ
私はあなたを知らない
知っているのは あなたが遺したたった一枚の絵だ
その絵に刻まれた かけがえのないあなたの生命の時間だけだ"
(無言館 館主窪島誠一郎さんの詩)
森村さんと宮田さんが信州を旅してこの無言館を訪れた姿には,昨年の夏に「無言館展」で私自身強く心揺さぶられた数々の絵の印象が重なってきました。
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“点滴の雫見つめて過ぎる日々
病み明けぬまま咲く曼珠沙華"
(宮田美乃里)