日本語が亡びるとき

日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で

日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で

臨床看護2009年3月号 ほんのひととき 掲載
“人間をある人間たらしめるのは、国家でもなく、血でもなく、その人間が使う言葉である。日本人を日本人たらしめるのは、日本の国家でもなく、日本人の血でもなく、<日本語>なのである。それも長い<書き言葉>としての伝統をもった<日本語>なのである。<国語>こそ、可能な限り格差をなくすべきなのである”(本書より)

昨年の12月に、評論家・加藤周一さんが亡くなりました。高校生時代に岩波新書『羊の歌』を読んで以来、東大医学部卒でもあった加藤さんの本を随分拾い読みしてきました。
『西洋見物の途中で考えた日本文学』『日本文化の雑種性』などは医学生時代に読んだときには消化不良をおこしていましたが、私自身がアメリカ留学を経験してから読み返して、ようやく少しは理解できたうれしさを思い出しました。
この欄でも以前に丸山真男加藤周一著 『翻訳と日本の近代』 (岩波新書)を取り上げました。「翻訳」のもつ強い文化的な力を日本で最も叡智のある文化人の二人が問答した本でした。
今回、ご紹介する本は作家の水村美苗さんの情熱溢れる本です。水村さんは12歳のときに、父親の仕事で家族と共にニューヨークに移り住むものの、アメリカと英語になじめず、「現代日本文学集」を読んで少女時代を過ごし、イェール大学でフランス文学を専攻したそうです。その後は日本で創作活動を続け、著書には『続明暗』(1990年、芸術選奨文部大臣新人賞)、『本格小説』(読売文学賞)があります。イェール大学では、加藤周一柄谷行人氏が日本文学を教えるために招かれた講義で、二人から日本文学にかんする色々な話をじかに聴くことができたこともあったそうです。
本書の目的を水村さんは次のように述べています。
“文学も芸術であり、芸術のよしあしほど、人を納得させるのに困難なことはない。この本は、この先の日本文学そして日本語の運命を、孤独の中でひっそりと憂える人たちに向けて書かれている。そして究極的には、今、日本語で何が書かれているかなどはどうでもよい、少なくとも日本文学が「文学」という名に値した頃の日本語さえもっと読まれていたらと、絶望と諦念が錯綜するなかで、ため息まじりに思っている人たちに向けて書かれているのである”(本書より)
題名の「亡びる」という言葉の由来は、本書の後半で取り上げている夏目漱石の『三四郎』の一節です。
“「然し是からは日本も段々発展するでせう」と三四郎は弁護した。
すると、かの男は、すましたもので、「亡びるね」と云った。(夏目漱石 『三四郎』より)”
水村さんは『三四郎』の魅力を、姜尚中先生とはちがう面から紹介しています。
“『三四郎』は、実は、大学を舞台にすることによって、日本で学問をする困難をあますことなく描いた小説である。別の言い方をすれば、『三四郎』は西洋の衝撃を受けた当時の日本の現実を、まさに学問の言葉を使わずに、文学の言葉をつかうことによってどんな学問にも代えがたく理解させてくれる小説なのである。しかも世界的な視野をもって、当時の日本の現実を理解させてくれる”(本書より)
英語教育が小学校、さらには幼児教育にまで押し寄せている時代の流れと、インターネットや科学における普遍語としての英語の大波に、国語としての日本語が呑み込まれる危機感を水村さんは、自身の経歴と作家活動を通じて切実に書き綴っています。
そして小説という文学の持つ創造性と魅力を、比較文化の視点から熱弁をふるう水村さんの姿には、イェール大学時代に講義を聴いたという加藤周一さんの強い影響を読み取ることが出るようです。
“認識というものはしばしば途方もなく遅れて訪れる。きっかけになった出来事や、会話、あるいは光景などから、何日、何年もたってから、ようやく人の心を訪れる”(本書より)