優しい子よ

優しい子よ

優しい子よ

臨床看護2006年10月号 ほんのひととき 掲載
“くまのぬいぐるみとかわいいふくろをありがとうございました。おてがみもうれしかったです。高橋先生にほめてもらえるようなひとになりたいです。
 あしはいたくないですか。ずっとおいのりしているからきっといたくならないです。
 杉田茂樹 10さいです”(10歳の誕生日を迎えた茂樹少年の手紙)

 たしか2年前,初夏の頃に日経新聞の日曜文化欄に茂樹少年と大崎さんの妻(将棋女流棋士 高橋和 二段)との文通を紹介する随筆が載っていました。
 “ぼくは先生にないしょにしていたことがあります。ぼくにはかみのけがありません。同じとしのみんなよりせもひくいし小さいです。だからしゃしんをとるのがいやでした。もうすこしゆうきがでたらくまをだいてしゃしんをとって先生におくります。
 じぶんをよわいとおもわず力いっぱい今をいっしょうけんめいに生きていきます。こうかいしないように生きます。
 おからだにきをつけてがんばってください。そしてぼくのことをおもいだされたらまたいつかおてがみくださいね。これもぼくの夢です。(中略)
 ぼくはいたいけれど,あしはいたくないですか。いたくならないようにおいのりしています”
 モーニングコーヒーを飲みながら,この手紙を読んだときの感涙を今でも鮮明に思い出します。翌日,新聞を切り抜いてコピーを友人たちにも送りました。
 今年の7月に,大崎・高橋夫妻のもとにとどいた手紙をきっかけとして書かれた短編小説集が,表紙にはかわいい熊のぬいぐるみをまとった茂樹少年を描いた本として刊行されました。
 このいきさつを大崎さんは本書のあとがきに次のように書いています。
 “将棋女流棋士高橋和 二段)である妻のファンだった9歳の茂樹少年が父親に頼み込んで連絡してきた。末期の白血病に冒された少年と会うことはついに叶わなかったけれど,何度かに及ぶ手紙のやり取りは心を震わさずにいられなかった。
 「高橋先生の足が痛くならないようにお祈りしています」
 治癒の見込みのない病気に冒されているわずか9歳の少年は,どんなに苦しい状況に立たされていても,末尾には必ず几帳面にそう書き添えてくれた。妻が4歳の時に交通事故に遭い左足に切断寸前の重症を負い,数度にわたる大手術を乗り越えてきたことを少年はどこかで知っていたのである”
 本書『優しい子よ』には,茂樹少年との出会いから2年間に大崎さんが発表した4本の短編小説が収められています。
 小説家として独立したばかりの大崎さんの熱烈なサポーターでもあったテレビプロデューサー萩元晴彦さんの闘病生活『テレビの虚空』と,萩元さんの故郷・飯田市を訪れた紀行をもとにした『故郷』,さらに奥さんの高橋棋士の妊娠と出産の『誕生』,そしてあとがきには大崎さんの実父で,札幌の開業医であった老父との和解が描かれています。
 「はからずも死と生の物語になった。巨大遊園地ではなく,身の回りの気がつけばひっそりとある住宅街の中の公園のような小説」という大崎さんの言葉通り,この小作品集には切ない中にも心がほんのり温まる世界が拡がっています。
 余談ですが,一読したときには身近にある断片的な話題をもとにした軽い小説のようでありながら,読み返してみるとまるで「詰め将棋」のように綿密な構成のうえに成り立っていると思います。つい将棋女流棋士の奥さんの強い影響が大崎さんにあるのではと邪推してしまいました。

 “三カ月という大変短い間でしたが,とても幸せな時間を茂樹君とともに過ごさせてもらいました。人間の持つ優しさをこれほどまでに感じたことはありません。心からの「ありがとう」を言いたいです。
 もし彼の死に理由をつけるものならば,人間が一生かかって持つことができる「優しさ」を彼は十年という歳月で会得してしまったからではないかと私は思います”(茂樹君の父へ高橋さんの手紙から)