査察機長

査察機長

査察機長

臨床看護2006年9月号 ほんのひととき 掲載
“どのパイロットにも必ず欠点があります。私自身もそうですが,それが見えてしまうからチェックがいやなのだと思います。コーパイ(副操縦士)のときは技量だけでなく,それこそ礼儀作法までいろいろ周りが注意してくれます。
 でも機長になると誰も何も言ってくれません。自分の欠点や弱点に気づいて頂くのがチェックであり,それがチェッカーの役目だと思うのです。
 見方を変えれば,チェックは効率の良い教育です”(本書より)

 私の勤務している病院は,東京都と神奈川県の境を流れる多摩川東京湾に注ぎ込む近くの川崎市川崎区にあり,天気のいい日には12階病棟の南東側窓から東京湾越しに房総半島まで見渡すことができます。
 病棟でのひとときの楽しみは,多摩川河口に位置する羽田空港に離着陸する飛行機をこの窓から眺めることです。
 国内線ジャンボ機がひっきりなしに大空に向かって飛翔していく姿は,いつもなにかしら心の昂揚をもたらしてくれます。また日暮れ時に夕陽に照らし出された空港に主翼灯尾翼灯を点滅させながら,着陸してくる飛行機を見ていると旅愁さえ感じられます。
 私はもともと飛行機に乗って旅することが大好きで,また空港や飛行機そのものにも興味があり,小説でもアーサー・ヘイリーの『大空港』をはじめ,アニータ・シュリーヴ『パイロットの妻』,この欄でもとりあげたマイケル・クライトン『エアフレーム』など,飛行機の本というとついつい衝動買いしてしまいます。
 本書の著者・内田幹樹(もとき)さんはYS-11ボーイング737ボーイング767などの機長として国内線,国際線に乗務,その間20年以上にわたり,操縦教官としてライン・パイロットの教育にあたっていたパイロットです。9年前に出版した『パイロット・イン・コマンド』では,サントリーミステリー大賞を受賞し,パイロットが書いた本格航空小説として評価を受けているそうです。
 査察機長(チェックパイロット)というなにか聞きなれない題名をみてすぐに買い求めました。ボーイング747-400ジャンボ機の機長村井が,機長昇格1年して,定期査察として査察機長氏原とともに成田からニューヨークへ飛び立つ12時間のフライトを描いた小説です。
 “機長になられて二年目ですね。そろそろ慣れが出てきて,基本がおろそかになりやすい時期です。自分のやり方や方法論を持つのは大切ですが,もし自己流になりすぎているとすれば,チェックはそれに気がつく良い機会なのです”という,氏原チェッカーの言葉に緊張を強いられる機長村井の姿。そしてクリスマス前の大雪の悪天候のなか,ニューヨークJFK空港へ着陸するまでの緊迫した操縦室内の状況を,内田さん自身の査察経験をもとにノンフィクション以上にリアルに描いています。
 いろいろな読み方ができると思います。私は病院で若いドクターと一緒に入る手術室での光景と対比しながら,このフライトを読みました。大学でチーフレジデントをおえて,いっぱしのオペレーターとして自負をもって赴任してきた卒後7〜8年目のドクターが術者で,私が第1助手をつとめている状況にそっくりでした。
 “速度も降下率も,旋回角度なども限界まで使われていましたが,テクニックとしては鮮やかだったと思います。機長が自分の飛び方について,格好がいいか,鮮やかかどうかと考えているのはわかります。
 私が言いたいのは,キャビンにいる乗客の立場から,それが果たして格好がいいかどうかです。あのとき雲中飛行から抜け出して外が見えたら,めまぐるしく変わる景色に,気分が悪くなるお客さんがでた可能性もあるということも考えておいてください。なるべく,不安感や不快感をキャビンに与えないように,乗客の立場に立って操作するのが,スマートな飛び方だと思うのです”(本書より,氏原チェッカーの言葉)
 次に飛行機に乗るのがより楽しみになる本だと思います。