悩む力

悩む力 (集英社新書 444C)

悩む力 (集英社新書 444C)

臨床看護2008年12月号 ほんのひととき 掲載
漱石ウェーバーは、「個人」の時代の始まりのとき、時代に乗りながらも、同時に流されず、それぞれの「悩む力」を振り絞って近代という時代が差し出した問題に向き合いました。そんな彼らをヒントに、また私自身の経験や考え方を交えながら、「悩む力」について考えてみたいと思います”(本書 序章より)

今、ベストセラーになっている新書でお読みになった方も多いと思います。著者の姜 尚中(カン サンジュン)さんは政治学・政治思想史が専門の東大情報学環教授で、本書の表題を見て学生若者向けの啓蒙書くらいに思っていたのですが、立ち読みして引き込まれてしまいました。その理由は、漱石ウェーバーを取り上げていたからです。
私が学んだ高校は、都内の大学付属の教育実験校でした。進学校としても有名でしたが、内情は大学からはみ出た、あるいは公立高校では指導要領破りで問題児(?)だった情熱あふれる教師たちによる、よく言えばオリジナルな教育、悪く言えば独善的な授業が1年間ごとに脈略なく行われていました。
1970年代半ばのまだ大学紛争が活動期にあった時代で、文科系の教師ははっきり左派、右派の立場を鮮明に打ち出した教材をとりあげていました。
もともと私は理科系志望だったのですが、受験にはまったく無縁の文系授業の講義には惹かれるものがありました。
その授業のなかのひとつで、マックス・ウェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」を岩波文庫大塚久雄訳および解説)で読みました。難解な本文は理解不能でしたが、巻末の大塚先生の解説が簡潔で、資本主義の世の中を見る目が啓けたような感覚がいまでも残っています。この難解な本を大塚先生よりさらにわかりやすく、姜先生が要約しています。
修道院の中での修道士の禁欲的な生活のように、プロテスタント信者が私利私欲を離れて、規則正しく、一切の無駄なく、働く意味の詮索さえ忘れて社会のなかで黙々と勤労に励み、結果として富が蓄積されても、それを享受するのではなく、ひたすら営利に再投資することでますます富が蓄積され、資本主義の大きな発展に寄与した、というものです”(本書より)
そのドイツ政治学者のウェーバーが、漱石と同時代でしかも同じ問題意識を持っていたという姜先生の着眼が、私にとってはわくわくする思いでした。
“20世紀最大の社会学者、マックス・ウェーバーは、西洋近代文明の根本原理を「合理化」に置き、それによって人間の社会が解体され、個人がむき出しになり、価値観や知のあり方が分化していく過程を解き明かしました。
ウェーバー漱石と同じ時代にうまれ、遠く離れた日本とドイツに生きた二人が、似たようなことを考えていた。それに気づいたときのぞくぞくするような感じは、いまも忘れることができません”(本書より)
ちょうどこの原稿を書いている10月は、のちのち金融恐慌、全世界大不況の始まりの月として歴史に残るかもしれません。文明、資本主義の発達がもたらした結果を100年前の黎明期に見据えていた、ウェーバー漱石を今また再読したいと思う契機にしてくれた姜先生の本書は、私にとっては高校時代の授業の再現のようです。
さらに姜先生が自身の出自に触れながら、日本と韓国の国籍、民族、パトリ(故郷)、国家をめぐる分裂と葛藤に悩んできた姿を実直に語られていることも本書の魅力だと思います。

“こうした資本主義の行く先、文化発展の最後に現われる『末人たち』にとっては、次の言葉が真理となるのではなかろうか。『精神のない専門人、心情のない享楽人。この無のもの(ニヒツ)は、人間性のかつて達したことのない段階まで登りつめた、と自惚れるだろう』”
ウェーバー:「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」より)