いのち織りなす家族 がん死と高齢死の現場から

いのち織りなす家族―がん死と高齢死の現場から

いのち織りなす家族―がん死と高齢死の現場から

臨床看護2006年6月号 ほんのひととき 掲載
“常に過剰な医療と過小な医療のジレンマに悩みを深めているのが今日の病院の実状で,そのため生きがいすら定かでない患者が,まさに「生かされながら死んでいく」かのような印象を与えることもしばしばである"(本書より)

 今年3月,富山県内の市民病院で起きた人工呼吸器取り外し「問題」を受けてみなさんの病院でも「回復の見込みのない」患者さんに対する延命治療の在り方について見直しや,同様事例の調査など何らかの対応を院内で行ったところが多かったと思います。
 私の勤務する病院でも「脳死判定委員会」のメンバーを中心に「尊厳死の在り方についての検討会」が急遽ひらかれました。
 ちょうど4月には新研修医の若いドクター,そしてフレッシュナースが病院にたくさん入ってきて華やいだ雰囲気が感じられる間もなく,現場での混乱を未然に防ぐための「ガイドライン」「指針」をどうにかしなくてはという状況でした。
 私の科でも年間に約20人の泌尿器系のがん患者さんを看取っていますが,今回の「問題」をきっかけに,DNR(蘇生処置をしない)と患者さんと家族へお話しする時期,手順などを病棟スタッフと見直しをしなければと思っていました。
 そのときにネットで探した本が『いのちの織りなす家族』でした。
 本書は2002年,4年前に刊行されました。著者の額田勲さんは神戸のみどり病院院長で,長年,臨床医療とくに終末医療のあり方,脳死・臓器移植などの先端医療の姿,災害医療と人間疎外,日本人の死生観など,現在の生と死をめぐる問題に関して,第一線の市中病院医療現場の視点から問い続けているドクターと巻末に紹介されており,たくさんの著書があるのですでに読んでいる方も多いと思います。
 実は,私にとって本書は初めての額田さんの本でした。
 “そもそも治療方針を決めていく当初のインフォームド・コンセントといわれる段階で,難治性のがんであると厳しく告知しておきながら,肝心の最終ゴールのことはすこぶるあいまいにするような姿勢に終始したうしろめたさがじわりとこみあげてきた…"(第1章 患者よがんと闘え)
 具体的な在宅医療の実例,家族の役割を提示しながら,各章末に医者の本音ともいえるような感想を荒々しく書きなぐっている文章を読みすすめると,今までお会いしたこともないのですが,『赤ひげ診療譚』を彷彿とさせるような印象を持ちました。
 いわゆる緩和ケア病棟ではなく,がん患者さんの90%以上が亡くなっている一般病棟にあって緩和ケアをすすめる現状に対しては,『一般病棟における緩和ケアマニュアル』(小川道雄・編,へるす出版刊)を以前この欄でも紹介しました。
 医療者にとっては技術的のみならず心の大きな支えになる本ですし,私も病棟での教育に活用しています。しかしそれでも額田さんの次のような本音には,ついつい共感してしまいました。
 “今後も,医師の死生観,価値観を強引に患者に押しつけることを戒め,彼らの自己決定を阻害せぬことこそ第一義と心すべきで,ただひたすらインフォームド・コンセントなる概念を強調して,最終判断では患者に下駄をあずける他はなかろう。時にはがんと闘え,時としてがんと闘うなと日和見的にこの時代をくぐり抜けるほかはなさそうだと,私は,改めてそんなふうに自分に言い聞かせねばならなかった"
 さらに本書では介護を必要とする高齢者に増えている肺炎についても取り上げています。「尊厳死とは?」という机上の議論の前にお読みになることをお勧めしたいと思います。

 “いのちのルート,中心静脈栄養をおこなった加齢による慢性の複合的な病像の果ての老人性肺炎こそ高齢社会の疾病構造を特徴づけるもので,がん末期と異なる老化の最終像において救命にかかわる決定的な治療と,素人目に惨いと思われる延命治療とは紙一重と,改めて医師としての無力感にひたるばかりである"。(本書第5章「たかが肺炎,されど肺炎より」)